雑記+ブックレビュー

書評というほどのものはありません。読んだ本に絡めて、日々思うことなどを書いていこうと思います。

中上健次 電子全集1 『紀州熊野サーガ1 竹原秋幸三部作』

中上健次は「未完の平成文学史」で知ってから興味を持っていました。
フォークナーの「ヨクナパトーファ・サーガ」に影響されて、自身の故郷である紀州熊野を舞台として書き続けた「紀州熊野サーガ」。
こういうと差別的になってしまうのですが、中上健次の書く熊野地方は後進的で暴力に満ちあふれ、まさにフォークナーの書いたヨクナパトーファと類似しているのかもしれません。
以前「化粧」を読んだのですが消化不良だったので、今回は紀州熊野サーガの中核を閉める「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」と、その幕間の「覇王の七日」が納められた本書を読んでみました。

分量としては「枯木灘」が「岬」の倍で、「地の果て 至上の時」が「枯木灘」のさらに倍くらいあるので、読み進めるごとにどんどん長編化していきます。
結婚と離婚、私生、死別等による極めて複雑で濃密な血縁関係、舞台の紀州熊野(今の熊野市というよりは、新宮市を中核と考えたほうがよさそうです)の貧しい路地とその崩壊、そして主人公竹原秋幸とその父龍造の呪われたかのような血。
「岬」や「枯木灘」における秋幸は土と会話するかのような土木作業を好み、紀州熊野の大地との一体感にあふれています。
しかし、「枯木灘」の最後に腹違いの弟を殺害して服役したのち帰ってきた秋幸は全く別人のようになってしまいました。
龍造は戦後の焼け跡にできた路地や、その周囲の山林をあくどい方法でかき集めて一代にして資産家となったのですが、「枯木灘」以前の秋幸はこの龍造への嫌悪感に満ちあふれていました。
しかし、服役後の秋幸は龍造の後継者として仕事をはじめ、父龍造との愛憎相半ばする複雑な関係を結びます。
秋幸が服役している間に路地の民はその土地の権利を龍造により半ばだまし取られてしまい、彼が再び世に出た時には故郷の紀州熊野の地は全く様変わりしていました。
秋幸はその龍造による仕事を受け継ぐべく、父をそっくりなたくましい体を利用してヤクザに近い世界を渡り歩くようになったのです。

この三部作を通して読むと極めて長く、その要素を言い尽くすことはできませんが、最も重要な要素は路地の民の故郷喪失にあるのだと思います。
路地を失った人々の一部は「水の信心」なる新興宗教に入れあげますが、教祖の母が死後よみがえるはずのその日に、彼女の腐乱死体を目の当たりにして混乱に陥りました。
また、一部の全く財産を失ったものは、浮浪者として路地跡地を占拠します。
秋幸の父違いの姉は、路地育ちだったにもかかわらず龍造の口車に乗り路地の破壊に手を貸した末に、路地の再開発がうまくいかずに精神の均衡を失いつつあります。
環境の急激な変化についていけずに多くのものが心身や財産を崩していくのですが、その中心にあるのはいつも龍造でした。

女性はある年代になるとそのほとんどが遊郭行きになり、男衆は酒に溺れるしかないというほどの悲惨な貧困。
そこから抜け出したにもかかわらず、その心は満たされることはありません。
本書はよりどころを失った人々の悲しさと、破壊神としての龍造への複雑な思いを描いているのかもしれません。

電子書籍なので買う前にはわからなかったのですが、本書一冊だけで極めて長いです。
お値段からするとお得です。
お得ですが、読み進めるにはかなりの気力が必要なことも事実です。
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  1. 2017/10/10(火) 00:37:14|
  2. ★★★★
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