雑記+ブックレビュー

書評というほどのものはありません。読んだ本に絡めて、日々思うことなどを書いていこうと思います。

数値と客観性――科学と社会における信頼の獲得

かなり前に読んだ「専門知と公共性」の著者が翻訳したものです。
私はメーカーで開発職に携わっているので、まさに本書のタイトルである「数値と客観性」については常に意識しなくてはならない立場にあります。
よく我々が使う表現としては「数値が一人歩きする」というものがあります。
家庭に一般に存在する測定器では、例えば長さだと定規を使おうがメジャーを使おうが基本的には同じ値を得ることができます。
しかし、こういったことは例外的であり、測定装置によって同じものを測定しても全く違う値が出てくるというのは、あたりまえのことです。
これは誤差の問題だけではなく、測定装置ごとに測定手法が異なるということも影響します。
(最近では豊洲市場予定地の地下のヒ素濃度測定でもめたことがありますが、これが典型例です。)
このため、専門家ほど数値を提示することに慎重になるのですが、一方で非専門家ほど客観性を担保するために数値を要求する傾向があります。
一般的には専門家ほど数値にこだわる印象があるのですが、場合によってはこれが逆転することもあるのです。
本書ではこのようなねじれ現象など、専門家のコミュニティと非専門家のせめぎあいについて述べられています。

費用の見積もりについても、同様に「数値の一人歩き」が起きやすいです。
何か新しいものを作って販売する際に、まずは原価を計算してからそれに利益を上乗せして販売価格を決定するのですが、この計算原価は前提条件によってある程度操作することができます。
配置する必要のある人員については、たいていの場合働いている人は複数の仕事を同時にこなします。
この場合、同時にこなすということをどのように価格に反映させるかは、かなり恣意的です。
たまたまほかに仕事がある場合はその人は休み時間なく動きますし、仕事が途切れると遊びの時間が発生します。
そして、ベルトコンベアラインでもない限りは、ある程度遊びの時間はどうしても発生します。
これ以外にも、他と共通して使用する設備、固定資産の償却年数、為替など、不確定要素は極めて多く、言い方は悪いのですが計算する人にとって都合よく数値が形作られるのはよくあることです。
しかし、部外者の人にはそういったことはわからないので、数値がもっともらしく聞こえてしまいます。

そのため、悪気があるわけではなく、誠実な専門家であっても数値を安易に出すことにはためらう傾向があります。
しかし、非専門家から見るとこれが極めて不透明に見えてしまうために、不信感を生むことになります。
理想を言えば非専門家の方々にも数値を出すための前提条件を十分理解してもらえればいいのですが、これは事実上不可能です。
この埋めがたい溝をどうするのか、全く答えが出ていない状態だと思います。

個人的には、数字には名付けと似たような不思議な力が備わっているように思います。
単なる体調不良よりも、原因不明であっても何らかの病名がついたとたんに何か実体のあるような気がしてくるようなものです。
数字も、その数値自体に何の意味もなかったとしても、数値がついたとたん実体を把握できたかのような錯覚を生むのです。
これは恐ろしいことだと思います。

本書はおそらく翻訳があまりこなれてなくて、とても読みづらいです。
一方で訳者の書いた解説文(改題)はわかりやすく、先にこちらを読んだ方がよいと思います。
英語原文だと、もう少し理解しやすいのでしょうか…。
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  1. 2017/04/22(土) 19:37:25|
  2. ★★★
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