雑記+ブックレビュー

書評というほどのものはありません。読んだ本に絡めて、日々思うことなどを書いていこうと思います。

万延元年のフットボール

大江健三郎の作品をちゃんと読むのは初めてですが、こんなに面白いものだとは思いませんでした。
村上春樹の「1973年のピンボール」がこの作品に影響を受けたものだというようなことがよく言われたりするのですが、私は「1973年」のほうのちょっとおしゃれな雰囲気が苦手だったので、それに引きずられて本書もなんとなく避けていました。
未完の平成文学史」で紹介されているのを読んで、食わず嫌いするのももったいないと思いなおしたものです。

舞台は第二次大戦の記憶も残る時代の四国の山奥の村。
少し前に「てんやわんや」を読んで以来、私は勝手に四国の村といえばユートピア的なイメージを想像してしまうのですが、本書の村は全く異なります。
村にもともとあった小規模の商店群は新しくできたスーパーマーケットとの競争に負け、経済的な支配下に置かれている状況。
この村で生まれた主人公の根所蜜三郎は、進学で東京にでたものの親友の奇怪な自殺に加えて、誕生した子供が障害児であったという衝撃により、妻とともに心理的に行き詰まります。
蜜三郎の弟の鷹四は、兄とは別個に左翼闘争失敗による心理的行き詰まりでアメリカに潜伏していたのですが、突然帰国して兄夫婦を誘って四国の故郷に帰りました。
村全体の行き詰まりと、蜜三郎一行の行き詰まりが共鳴する中、かつて万延元年に当地で発生した一揆をなぞるようにして暴動が起きる…。

私は本書の時代には生まれていなかったのですが、安保が成立してしまったことで若者たちが閉塞を感じていたのでしょうか。
全編を読んで感じたのは、暴動によるグレートリセットの願望です。
一例として、密三郎の生家の女中であったジンが挙げられます。
彼女は数年前から食欲が収まらずに絶え間なく食べ続けた結果、異常な肥満体となってしまいました。
しかし、暴動をきっかけに食欲は完全になくなり、一転してみるみる痩せ始めます。
おそらくは、近い未来には心穏やかな状態で死を迎えるのでしょう。
蜜三郎たちも長期の閉塞状態を脱して、新たな生活を示唆するように物語は終結します。
このあたりは著者自体の願望もあるのでしょうが、なかなか現実はそういうものでもないようにも思います…。

噂通り文章はやや読みづらいですが、それでもなれるとどんどん読み進められます。
評論家の江藤淳はこの小説の主人公の名前「蜜三郎」などが不自然で奇をてらったものだと批判して、これがきっかけで大江健三郎と絶縁となってしまったそうです。
確かに言いたいことは理解するものの、絶縁するほどこだわる点なのかもちょっと疑問に思いますが。

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  1. 2017/02/12(日) 19:45:48|
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