雑記+ブックレビュー

書評というほどのものはありません。読んだ本に絡めて、日々思うことなどを書いていこうと思います。

日本の島々、昔と今。

紀ノ川」の有吉佐和子によるルポです。
この方は小説も見事だと思いましたが、こういったノンフィクションもとても読みやすいです。
「昔と今」というタイトルから、島の古老等に話を聞いて生活や環境の移り変わりについて述べられているのかと思っていたのですが、実際は郷土史のような話の割合が多かったです。
隠岐の部分では後鳥羽上皇などのエピソードが紹介されたり、対馬の部分では元寇が取り上げられたり…。
歴史に興味のうすい私には、ややミスマッチだったかもしれません。

尖閣諸島や北方領土、竹島などの領土紛争の舞台となっている島も紹介されています。
鄧小平が尖閣諸島について「我々の次の世代が解決するだろう」と発言しているのですが、今はまさにその「次の世代」または「次の次の世代」といってもよいでしょう。
領土問題は解決が簡単ではないということを、改めて考えさせられます。

今と違って島の宿の予約をインターネットで行うことはできず、離島などの僻地は「行ってみないとわからない」という時代でした。
実際、予約したはずの宿に全く連絡が行っておらず、船着き場で宿を探すなどということもあったようです。
相当に活動的な作家だったというのはよくわかります。
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  1. 2018/05/14(月) 20:50:25|
  2. ★★★★
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ディープラーニングがわかる数学入門

以前読んだ「イラストで学ぶ ディープラーニング」がいまいちだったので、ほかによい本はないかと思い購入して見ました。
「Excelで体験できるディープラーニング」というのが売りのようですが、実際はExcel自体はおまけにすぎません。
また、本書を読んだだけでディープラーニングのソフトを使いこなすことも不可能です。
しかし、ディープラーニングの基本的な原理を知るには最適な本だと思います。

高校数学レベルの行列や漸化式等から始まり、畳み込みニューラルネットワークまでが順を追って解説されています。
後半はやや複雑ですが、ゆっくり理解しようと思って読めば理解できる内容だと思いました。
それでも完全文系の人が理解するには少し厳しい内容かもしれません。
畳み込みニューラルネットワークについては、何をやっているのかはおおよそ理解できたのですが、なぜこれで画像認識がうまくいくのかだけが少し腑に落ちないところが残りますが…。
これ以上理解しようと思うなら、実際にソフトを触って体験して見るしかないのかもしれません。
  1. 2018/05/10(木) 21:26:34|
  2. ★★★★★
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沼のほとり

古本屋で見つけて購入しました。
著者の中勘介が手賀沼のほとりに住んでいた頃について書いた表題作と、それ以前に上野寛永寺内に住んでいた頃の「孟宗の蔭」が収められています。
いずれも日記風の随筆なのですが、中には詩あり、短歌あり、夢についての記録ありで内容はばらばらです。
中勘介らしい美しい文体で日々がつづられます。

美しい自然と、暖かい日の昼寝、おいしいごはんなどについて肯定的な文章が並んだかと思うと、突然世間に対する絶望感に満ちた文章が現れて驚きます。
生涯にわたって文壇等と距離を置いた著者は、相当人づきあいが嫌いだったのかとも思います。
近所の子どもや家族は登場するのですが、ある特定の大人との濃密な関係を示す文章は全く現れません。
日記風と言いつつ突然数か月空いたり、または数日間隔で頻繁に記録がなされたりと頻度もバラバラです。
日記に記載されない、心の葛藤や本業への没頭の時期があったのかもしれません。
心の不安定さを感じさせられます。

内容は面白いのですが、昔の人らしく今ではほとんど見かけない感じが大量に使われているので、常に調べながら読み進めることになりました。
ベルベット、ヨハネ、ヤドカリなど…。
文庫版が戦後に発行されているので、よほどこだわりのある人以外はこちらで読んだほうが良いと思います。
  1. 2018/05/06(日) 15:51:02|
  2. ★★★
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革新都政史論

古本屋で見つけたものです。
「革新都政」とは、1967年から1979年まで美濃部亮吉が都知事を務めた期間を指して言います。
社会党と共産党による支持を受けて自民系の候補者を破って当選し、革新自治体の最盛期のもっとも大きな構成要素となりました。
本書の著者は共産党の赤旗編集委員を務めた人物であり、共産党側からの視点で革新都政と、その後の自民党を支持母体とする鈴木都政について述べています。

当時の共産党の基本的な立脚点であるマルクス主義は、ポパーのいう典型的な「歴史主義」です。
これは、「歴史主義の貧困」で強く批判されている考え方で、人間の歴史はある必然的な方向に向かって発展していくというものです。
本書にもこの考え方が浸透しており、
理論的にみても、革新自治体が住民の圧倒的大多数の要望に沿ったものであり、歴史的発展の法則とも合致する
だとか、
歴史の発展法則は明確であるが、ときとしてはまわり道をしたり、一次逆行するときもある。
革新都政の歩みもまさにそうで、七九年都知事選挙の結果、残念ながら自、公、民の反動候補が勝利し、革新都政はついに保守都政にとってかわられた。
という記載がなされています。
本書の記載の特徴は、革新都政(というより共産党の意図)に反する流れは理論的に間違っているので、そういうことが起きるのは「反動勢力」たる敵や、「日和見主義」である社会党のせいであり、決して自分たちが誤っているわけではないという考えに立っていることです。
自民党をはじめとする中道右派はここまでガチガチに理論で固まっていないために、よく言えば臨機応変、現実主義、悪く言えば節操がありません。
一方で本書の著者が所属していた頃の共産党は理論先行のため思想的に先鋭化しており、妥協点は存在せず、少しでも間違った点があればそれは共産党ではなく相手方が悪いということにならざるを得ません。

美濃部都政の末期には共産党と美濃部の意見対立が起きたのですが、これについては美濃部に全面的に非があることになっています。
また、鈴木都知事が10年以上も選挙で勝ち続けている(裏を返せば革新候補が支持を失った)理由については全く触れられていません。
美濃部都政では公営ギャンブル廃止と福祉の拡充により大幅な財政赤字に陥ったのですが、これは国からの補助金が足りないことが要因とされます。
社会党が共産党とたもとを分かったのは、当時の社会党書記長である江田が不純な思想を持ち込んだためだそうです。
全て自分が正しく、うまくいかないのは人のせいです。
反対勢力にはレッテル貼りを行ってから是々非々ではなく全面的な存在否定を行うというふるまいをみせます。

共産党の政策の良しあし以前に、ここまで自己正当化しかしていないアジ演説のような文章は正直言って読むに堪えないと思いました。
人間なのであとから見れば間違いだったと思えることもあってよいのですが、これに対する反省がなく、依って立つ理論が絶対的に正しいのだから自分たちが間違っているわけがないというのでは、会話が成り立たないというのが印象です。
  1. 2018/05/05(土) 18:58:11|
  2. ★★
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イリヤの空、UFOの夏

21世紀になったばかりのころに話題になったSFものライトノベルです。
とくに大きく目立ったところのない少年が、極端に無表情で秘密を持った少女と出会って、少女と心を通わせるというある種のテンプレ作品の一つですが、時代を考えるとこの設定はまだ真新しかったのでしょうか。
これ以外にも、実現困難と思えるほどの派手な学園祭、頻繁に授業をさぼる学生、主人公にひそかに恋心を抱くサブヒロイン、反抗期ながらもブラコン気味の妹など、見たことのある要素が散見されます。

UFOもののライトノベルというと「ARIEL」とか「電波女と青春男」などが思い当りますが、本書はこれらに比べると格段に「重い」です。
滑り出しはよくあるボーイミーツガールなのですが、巻が進むにつれて絶望感が増していき、さわやかとは言い難い終結を迎えます。

よく、日常もののライトノベルや漫画、アニメを「難民系」と称したりします。
これは、心地よい物語の世界に浸っていた読者や視聴者の心が、完結後に行き場を失うことを称していうものです。
基本的に「難民系」には明確なラストは存在せず、緩やかで優しい空間がそのまま物語の中では続いていくことが示唆されながらも、当然ながら現実にはそのような空間はもはや供給されないために「難民」が発生します。
一方、本書は登場人物すらも「難民」と化します。
夏休みのごく限られた期間に訪れた非日常が突然不可解に終了し、人生におけるある期間が過ぎ去って二度と帰ってこないことを実感します。
その後はまた別の心地よい空間を手に入れることができるのかもしれませんが、それは決して過去に存在したものと同じではないのです。
主要な登場人物すべての心に空虚な穴を残したまま、物語は終結します。

この「穴」を許容できるかどうかで、この作品の評価は大幅に変わると思います。
(もちろん、それ以前にライトノベルにありがちなテンプレ要素にアレルギー反応を示さない、という最低限のハードルはありますが)
個人的にはここまで救いのない内容にしなくともよかったのでは…とも思いますが、この展開がなければこの作品は成立しないともいえるのではなんとも難しいところです。
  1. 2018/05/04(金) 00:03:04|
  2. ★★★★
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都会と犬ども

緑の家」が面白かったので、本屋さんでバルガス・リョサの本を探して購入したものです。
本書も「世界終末戦争」と同じく、リョサのノーベル賞受賞を契機として再版されたおかげで、プレミア価格を古本屋に支払わずとも入手できるようになりました。
個人的には、ノーベル賞はすでに本が売れている人気作家に授与するのではなく、有名だけれども著書の多くが絶版になっているような作家が受賞して翻訳本が再版されるほうが嬉しいのです。
それでも、またしばらくしたら絶版になってしまうのですが。

本書の舞台は国立のレオンシオ・プラド士官学校です。
全寮制かつ男子のみの軍人養成学校であるレオンシオ・プラドにおいては、生徒たちは教育係の目をかいくぐって独特の社会を形作ります。
思春期の男性特有の、弱肉強食の暴力的な世界が軍人養成学校という閉鎖的な空間でさらに先鋭化し、弱いものは悲惨ないじめの対象となってしまいます。
(以前読んだ「男子の権力」を思い出します。)
入学したての新入生は、上級生からの暴力の洗礼を受けることで平和な外の世界とは異なった無法地帯に放り込まれてしまったことにすぐに気付き、同時に標的とならないためには暴力を振るう側に回るしかないことを学びます。
結果、軍人の美点とされる規律の体得については表面的なものにとどまり、実際は世界への本質的な絶望感と自分だけは助かるための技を身につけて社会へ復帰するのです。

「緑の家」でも使われた手法である、連続する文章の中で予告なしの場面入れ替えは、本作品でも使われています。
また、ペルーの学校制度特有の仕組み(士官学校は3年次からスタートする等)は当然の予備知識として特に説明されないので、かなり注意して読まないと混乱することでしょう。
リョサの出世作だけあって、個人的には「緑の家」「世界終末戦争」よりはスケールがやや小さいように感じましたが、それでも構成がよく考えられた作品だと思います。
学生時代に弱者のポジションにいた私は、昔を思い出してややつらかったですが…。
  1. 2018/05/03(木) 23:30:43|
  2. ★★★★
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未完の旅路

本書は戦前の非合法状態の共産党に所属していた活動家による自伝です。
投獄されるまでを記した1~3巻が1960年に発行されてひと段落したのですが、その後、出所してから中国にわたってから帰国するまでが書き加えられて最終的には6巻ものとなりました。
私は古本屋で3巻セットの状態で見つけたので、3巻までを読み終わった時点でこの文章を書いています。

著者が社会運動に目覚めた理由の一つとして挙げているのは、満鉄に勤務していた際に中国人労働者が受けていた扱いを目撃したことです。
当時は満州は日本の植民地であったことから、日本人のほうが立場が強く、なにか理不尽なことがあっても中国人は暴力をもって従わされていました。
アメリカの奴隷制と同じく現地人を中間の管理人として使ったりもしたので、ひどい場合には日本人の命令で中国人が中国人に暴力をふるうこともあったようです。
基本的には一般市民は法律を遵守して生活するのが正しいのでしょうが、人権を守るような制度も不十分だった当時、著者は社会活動として非合法な選択肢を選びました。
最終的には資金不足を補うために銀行強盗の実行犯となり、逮捕されて受刑者となります。
このような手段に頼ったことが本当に悪いことかは難しいところです。

戦前は、皇族への不敬を理由にすればどのような私刑も許されるような風潮にあったようです。
本書には大阪朝日新聞において、皇太后に関する記事に誤植があった際に右翼団体の暴動を受けたことが述べられています。
翌日の夕刻前に、大阪朝日新聞編輯室は忠君愛国者の一団に占拠され、散々に破壊された上に金一封の謝罪料を取られてしまった。
新聞社は直ちに重役会議を開いて、編輯局内に特別に宮廷記事係を新設すること、すでに配布した新聞は全部回収すること、新聞に謝罪広告を掲載することなどを決議した。
(中略)
先方が天皇護持を表看板にしている限り、どんな相手に対しても口も手も足も出せなかった時代であった。
それは言葉をかえれば、『天皇護持』という妖刀が、いかに多くの良民を傷つけたかということでもある。
当時の世論としては皇族を絶対視することは、おそらくは過半の人に支持されていたのかもしれません。
しかし、あとから見ると上記のようなふるまいは明らかな思い上がりであり、間違いであったともいえます。
何かの「表看板」を掲げて、これに対して少しでも意見するものへは攻撃的に封殺するようなことは、現代でも頻繁にみられることだと思いますが…。

本書の冒頭の自序には
老妻とともにワラジに杖で、全国に散在する中国からの帰国者を歴訪して、日本と中国の問題で、とっくり語り合いたいと願っている。
とありますが、これに対応する形で末尾の「息子への言葉」と題された一説には
これで君たちも、父の正体を見きわめたであろうから、父の晩年の夢を実現さすために援助してくれることを期待する。
と結ばれています。
著者はこの後も十年以上生きたようですが、この夢がかなったのかどうかは私には定かではありません。
歴史の中で生きる人にはよくあることですが、著者もそのときそのときを精一杯に生きたにもかかわらず、その多くは不成功に終わり、省みると邯鄲の夢という印象を受けます。
  1. 2018/05/01(火) 17:48:21|
  2. ★★★★★
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原子力のリスクと安全規制―福島第一事故の"前と後"―

著者は日本原子力研究所、原子力安全・保安院、原子力安全基盤機構において合計40年以上原子力の安全規制に携わってきた人物です。
本書の前半では福島原発事故直前にまとめられた原子力安全に関する概説が収められ、後半ではそれを受けて福島の事故後に過去の安全行政の問題点を記しています。
よって、前半には今から見ると「甘すぎる」当時の考えがそのまま記されています。
たとえば、もし重大な事故が起きてしまった場合の対処(アクシデントマネジメント)に関して書かれた次の文章などが代表例です。
当時原子力発電所の規制行政庁であった旧通商産業省(以下「通産省」)は、アクシデントマネジメントに関する検討の進め方について同省の対応方針をまとめ、同年7月に「アクシデントマネジメントの今後の進め方について」を発表した。
それによれば、同省は、わが国においてはシビアアクシデントの発生の可能性は十分小さいので、アクシデントマネジメントは電力会社が自主保安の一環として実施するものであると位置づけ、したがって、アクシデントマネジメントがなされているか否か、あるいはその具体的対策内容の如何によって、原子炉の設置または運転を制約するような規制的措置を要求しないとした。
「可能性は十分小さい」はずのことが起きてしまった後から見ると、あまりにも甘い話に見えます。

今回の事故は、原子力発電所の性能目標として
  • 炉心損傷頻度: 10-4/年
  • 格納容器破損頻度: 10-5/年
という目標が定められていたにもかかわらず、千年に一度(10-3/年)の地震に備えができていなかったことが最大の要因でした。
そして、これについては震災後の地震の専門家の言葉が紹介されています。
地震規模、マグニチュード9を超えるような地震というのは、これまで起こったのはすべて史上初だったんです。
史上初の事象で大きな被害がもたらされているわけです。
今回の地震も、基本的には日本における歴史記録から言えば、史上初なわけです。
そうすると、まず頻度という概念というものが成立しない。
マグニチュード9を超える地震に対して、頻度どれくらいかということ自体が科学的な合理性を失ってしまう可能性があると我々は考える。
人間の歴史において記録そのものが十分になされるようになったのはここ数百年程度でしょう。
これに対して原子力においては数万年に一回というレベルの災害を想定しなければならないという、原理的な無理が生じているのです。
それにしても、素人考えな上に後付けなのですが、貞観地震とかスマトラの地震とかの話を聞くにつれて、マグニチュード9以上の地震が起きうることくらいは想定できたように思うのですが…。

もう一つ印象的なのは、情報伝達が不十分だったことです。
(以下引用のカッコ内は私が補足したものです。)
今はもう、福島第一の事故を知るものは誰も、バッテリーが被水して直流電源が喪失したことを知っている。
しかしながら、事故の最中および直後には、D/G(非常用発電機)が冠水したことは事故の直後から関係者に共通に認識されていたが、1、2、4号機でバッテリーまで冠水してプラントパラメータ(原子炉の状態を表す数値全般)が失われたことや、それを得るために仮設のバッテリーが持ち込まれたということは、必ずしも伝わってはいなかった。
(中略)
私が直流電源の喪失と仮設バッテリーのつなぎ込みについて知ったのは、事故発生後3週間以上経った4月初めのことである。
原子力安全基盤機構の職員として情報分析につきっきりになっていた著者ですらこのような状態でした。
私も福島原発ほどの大事故は経験がないのですが、それでも設備トラブルが起きた際の連絡の難しさは経験があります。
どこまでの情報を重要事項として伝えるべきか?というのを伝える側は考えるのですが、たいていの場合は伝わる情報は少なすぎる傾向にあります。
「もうちょっと整理してから」「この情報を伝えると誤解を招く」「これ以外の重要事項でかかりきりの人に今伝えることはなかろう」などの言い訳はあるのですが…。
そしてトラブルは内容が想定外のことが多いため、前もってマニュアルで伝えるべき情報が決めきれないのです。
よって、関係者の意識向上以外に処方箋がないようにも思います。

本書は規制側の専門家が、正直にこれまで、そして現時点の規制の問題点について記したものです。
よって、規制の裏側、つまりはなぜそれほどの苦労をしてまで原発を使うのかという点は全く触れられていません。
これは本書の目的から見ても当然の話ですが、本書だけを読むとこれほどの技術的困難を乗り越えてまで原発を使う必要がなさそうに思う人も多いことだと予想します。

非専門家にもわかりやすく書こうという意図はわかるのですが、機械系の知識がある程度ないと理解は困難でしょう。
それでも内容はとても濃く、原子力の安全について概略理解するには良い本だと思います。
  1. 2018/04/30(月) 00:20:36|
  2. ★★★★★
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ものづくりからの復活―円高・震災に現場は負けない

東日本大震災を契機として日本全体について悲観論が広がったことに対し、製造業の「現場」の力は健在であることを示そうとした本です。
しかし、このような紹介文では、「日本の職人万歳」というようなロマンティックな工場ものとか、または「希望を失わずに独自のビジネスモデルで頑張る中小企業」というようなレアケースを持ち出して無理やり希望を喧伝しようというようなものに見えてしまうかもしれません。
本書ではこれらとは違って、かなり冷静に日本の製造業の強みを分析しているように思います。

本書は
日本の良い現場は、統合型組織能力とインテグラル型(擦り合わせ型)アーキテクチャの組み合わせの上に成立している
という立場に立っています。
これは、日本は部品を持ってきて組み立てるだけというような技術的難度の低いものではなく、製造に際して組織間の協調や、装置ごと製品ごとの最適化が必要な製品で優位に立てるということを示します。
もっというと、「めんどくさい」「マニュアル通りにいかない」「単純作業ではなく臨機応変な対応が必要」なモノづくりが得意だともいえると思います。
ただし、これはインテグラル型の対義語であるモジュラー型の製品作りが簡単ということではありません。
モジュラー型の製品は価格競争が激しく、顧客の満足するレベルを見極めて過剰品質にならない程度にコストを絞り、汎用品をできる限り多く使用して作るという別の難しさがあります。

本書を読み進めていくと、このインテグラル型のアーキテクチャは「工場の労働者が必死に働く」というひとことに尽きるように感じます。
ほどほどに働いて適度に物を作っていくのではなく、必死になって生産性を上げ、無茶と思われるような要求にもこたえ、「原理的にはできるけど現実的ではない」ような話を現実化していく能力。
ここまで徹底してやることが日本の強みの源泉であることを本書は主張しているように見えます。
日本の企業は労働環境が過酷だとよく言われます。
私も仕事をしていて、社内外の人から土日や深夜にメールが来ることもしばしばですし、問い合わせに対しての回答の速さも欧米に比べると国内企業は段違いに早いです。
サプライヤに対する当方の要求に対する反応も、ここまでやるのかと逆に驚くほどのものであることもしばしばですし、逆に当方がサプライヤの立場に立つとすべてをなげうってでも客先対応にかかりきりになります。
地理的条件、資源、過去の歴史(影響を及ぼせるような旧植民地が存在しない)などから、日本は結局は死ぬほど働かなければ優位性を保てないと宣告されてしまったように思いました。

本書の主張よりもむしろ、過去の議論の論点整理が非常にうまくなされていることが印象的です。
リーマンショック後の日本の製造業に対する様々な悲観論、震災後の原発に対する主張と福島第一原発の事故の根本原因など…。
いずれも、きわめてたやすく感情的な議論に流れやすく、その場合はとても読むに値しないような文章になったりするのですが、本書はさまざまな立場を非常にわかりやすく整理していると思います。
個人的にはこのあたりだけでも本書を読む意味があったように思います。
ただ、その後の内容は「現場重視」というだけで特に結論がありません。
当たり前のことを当たり前のように主張しているだけにも見えたりもします。

ただ、ここで結論を出さないのはむしろ、例えば「脱原発」「原発推進」などと言ってしまうよりも誠実なのかもしれません。
この種の選択は、何か一つのボトルネックが存在すると一気に論理が崩壊したりします。
そして往々にしてボトルネックは、ごくごく些末な実務レベルの技術的矛盾から生まれたりもします。
(本書流にいうと「現場」レベルの出来事なのでしょう)
そして、著者はこれらの問題をすべて把握しているわけではなく、そのため結論を出すことは事実上不可能です。
よって、「詳しい人が是々非々で」「現場の力を最大限活かして」という当然のことしか言わないのは、うそをつかないという点においてはよいのかもしれません。

製造業関連の本にありがちなトヨタへの過剰な礼賛や、「現場」という言葉にすべてをおしこめるような論理は、実際に工場で働いている人間にとってはやや違和感を覚えましたが、それでも書いてあることは本当のことが多いと思います。
日本の過重労働が強みの源泉だという、みんなが思っていながらもおおっぴらにはあまり主張されないことが書かれているのを見て、やや暗い気分にはなりましたが…。
  1. 2018/04/25(水) 22:36:48|
  2. ★★★★
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ゲームの王国

ポルポトの師であり、クメール・ルージュに思想的影響を与えたケン・バンサクについていろいろとネットで調べていたところ見つけた本です。
一見して学術書かルポの類だと思っていたのですが、レビューをちゃんと読んでみると小説だったのは驚きです。
評判もよさそうなので試しに購入して見ました。

上巻はクメール・ルージュが政権を奪取する直前までのカンボジア、下巻は2020年代の未来のカンボジアが舞台です。
上巻の途中までは登場人物紹介というところもあるのですが、ただひたすらにロン・ノル独裁政権下の秘密警察による悲惨な抑圧と、クメール・ルージュによるそれ以上に悲惨な虐殺が描かれています。
闇の中からは、光がよく見える。
(中略)
暗闇から明るいものはよく見えるが、明るい場所から暗闇はほとんど何も見えない。
この諺から「輝いているときこそ、足元の落とし穴に気をつけなければならない」という教訓を引き出した国語教師は残念ながら二流だった。
正しい解釈は「足元の穴に落ちたくなければ、そもそも輝いてはいけない」ということだ。
輝けばかならず闇から撃たれる。
というサロト・サル(若き日のポル・ポト)の独白から始まる本作は正統派の歴史小説を予感させますが、実際はそうではありません。
輪ゴムが切れることで人の死を予言するサム、土を食べることで土と会話できる「泥」、長年一言も声を出さなかったのに突然美しい声で歌いだした「鉄板」など、少なからず超能力のようなものをもつ人物たちが入り混じります。

タイトルの「ゲーム」については、前半ではクメール・ルージュ政権下において捕らわれた人物の独白が印象的です。
まるでゲームだ、アドゥはそう思った。
革命の名のもとに、オンカーは複雑怪奇なルールを設定した。
ひとつでも違反をすると殺される。
まさに命を賭けたゲームだ。
生き残るためにはすべてのゲームで勝つことが必要だった。
ここまで読んだ段階で、「ゲームの王国」とはカンボジアにおいて繰り返される腐敗した政権による抑圧体制の隠喩だと思っていたのですが、この想像は良い意味で裏切られます。
上巻ではまだ子供だった登場人物が下巻ではもう60近い老人となり、子供のころを再現するかのような「ゲーム」が行われます。
上巻途中までは読むのがやや鈍かったのですが、下巻に入ると物語の進展が速まり一気に読んでしまいました。
予想外の展開でとても面白かったです。

本屋さんではほぼ手にとらなかったなかったような本で、これほど楽しめたのはうれしいことです。
  1. 2018/04/22(日) 17:40:18|
  2. ★★★★★
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アンクル・トムズ・ケビン

古本屋で見つけたものです。
まさか「ケビン」=「Cabin」で、本書が「アンクル・トムの小屋」だったとは思いませんでした。
よく似たタイトルの本だと、不審には感じていたのですが…。

アメリカの奴隷制度に反対する立場から書かれた、奴隷がいかに悲惨な立場に置かれているかを題材にした物語です。
横暴な主人により暴力を加えられたりすることはもちろんですが、主人が破産したりまたは別の理由で奴隷が売りに出されたりすると、肉親同士、夫婦同士でも引き裂かれて二度と会えなくなってしまいます。
主人公トムも主人の借金を埋め合わせるために妻の料理人奴隷と引き裂かれますし、もう一人の売られようとしていた若い女性の奴隷も子供と引き離されようとしていたところをすんでのところで脱走しました。

天使のような清らかな心を持ちながらも早逝する少女エヴァは天使に、一方で白人奴隷主の罪を一手に引き受けて亡くなるトムはイエスになぞらえられているようにも見えます。
大量の黒人を奴隷として大陸から連れてきた人々の信仰に染まることの是非については本書では触れられません。
ただひたすらキリスト教そのものは善であり、善き奴隷はみな敬虔なキリスト教なのです。
このあたりは非キリスト教徒たる私が読むとやや納得いかないところもありますが…。

本書の最後で、当時まだ成立して間もないリベリアに対する希望が高らかに宣言されています。
アフリカ沿岸に僕は一つの共和国を見る、――この共和国こそ選ばれた人々によって造られた国なのだ、彼らは、活動力と独学との力によって、多くの場合、己れ一人の力で、自分たちを向上させ、奴隷としての境遇をのり越えた人たちなのだ。
その後のリベリアの悲惨な貧富の差と貴族主義を見ると、暗澹たる気持ちになります。
とくに、「選ばれた人々」のくだりが白人奴隷主の考え方の完全なる鏡像を示しているのが、先を暗示しているようにも思いました。

本書に登場するマリー・セント・クレアなる人物が、本当に身近にいるやっかいな人々のいくつかの特徴を併せ持っていて面白かったです。
被害者意識が強く、いつでも自分がどれほどひどい目に遭っているかを吹聴してばかりで、そのくせ他人には無神経で加害を繰り返す。
誰かに考えをただされると、誰もわかってくれないと逆に怒り出す。
よく見る光景ですね…。
  1. 2018/04/17(火) 19:52:58|
  2. ★★★★★
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深層のヨーロッパ

古本屋で見つけた本です。
30年ほど前に出版された「民族の世界史」というシリーズもののうちの一つですが、本書に限って言えば「民族」に限った内容ではありません。
全体的に、ヨーロッパ文化を題材にあるテーマに深く切り込んだ文章が並んでいます。

とくに第一部の「伝統文化の構造」の「ヨーロッパの家」「揺籃から墓場まで―人生の諸段階と通過儀礼―」「農民の世界―彩色写本にみる農村世界―」が面白かったです。
ヨーロッパといえばキリスト教ですが、実際はキリスト教以前の風習もたくさん残っており、そのいくつかはキリスト教と同化した形で伝わっています。
異教時代の北ヨーロッパにおいては、季節の交代を四つの祝日により祝っていました。
二月の聖燭祭、五月の五月祭、八月のラマス・デイ、十一月のハロウマス。
キリスト教時代になると、それぞれ「聖母マリアの清めの祝日」「聖ピリポとヤコブの祝日」「聖ペテロ奇蹟の脱獄の祝日」「諸聖人の祝日」となります。
そして、これらの日には異教時代からの火祭りが行われ、その後農民たちはそれぞれの季節に応じた仕事が忙しくなります。
十世紀でもキリスト教は必ずしも農民には十分に浸透しておらず、かつての異教の風習のほうがなじみが深かったようです。
このあたりの話は断片的にはいろんな場所で見聞きしてきたのですが、まとまった文章として読んだのは初めてで個人的には新鮮でした。

この種の本ではどれもそうなのですが、様々な著者が書いた文章が混在しているので、内容のレベルにはばらつきがあります。
それでも全体的にはかなり高いレベルの内容の文章が並んでいると思います。
最後の対談は蛇足だと思いますが…。
  1. 2018/04/09(月) 00:08:20|
  2. ★★★★
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日本国自主憲法試案

古本屋さんで見つけたものです。
本書が発行された1955年当時は、進駐軍による占領が沖縄を除いて終了して日本が再び独立国家として歩みだそうとしていた時期です。
当時の(そして現在の)日本国憲法が米国による押しつけかどうかは別にしても、時代の節目として憲法を見直そうと考える人がいたのはあり得ることだと思います。

本書で提案されている内容は、大きく二つに分かれます。
ひとつは誤解を生むような細かい文言や矛盾点の修正と、もうひとつは大幅な内容の変更です。
このうち後者については、例えば今でも議論になりつつある9条を修正するべしと提案しています。
  • 第九条第二項は、削除する。
    第一項は、字句修正の必要があれば、それをなすという程度に止めて、削除はしない。
  • 再軍備して、軍に関する規定を憲法に置く場合には、制軍の機構を十分に考慮すること。
本文中では
国家が存在する限り、国防や国内治安の維持のために、兵力従って軍隊の存在が必要不可欠のことは、ここに特に述べるまでもないところであろう。
とあります。
おそらくは当時創設されたばかりの自衛隊を意識したものだと思われますが、これに関する規定にそれなりに踏み込んでいます。
これ以外にも戒厳状態において基本的人権がいくばくかは制限されるべきことなど、いわゆる「逆コース」ともいえるような内容が散見されます。
現実路線に戻ろうという強い希望は感じられるのですが、第二次大戦の記憶が残る当時においてこのような内容の改憲はとても不可能だったことでしょう。
これ以外にも参議院の立場が不明確なことを挙げて、衆議院が参議院に優越することを明確に示すか、または参議院そのものを廃止してもよいのではという提言も見られます。
これらの提言の正否はともかくとして、問題意識自体は現代も残るものだと思います。

本書には、現行の日本国憲法は掲載されていません。
そのため、何を修正したいのかを確かめるためには、手元に別途日本国憲法の原文を用意する必要があります。
複数名の学識経験者からなる「憲法研究会」の場での議論をもとにしているため、多くの箇所で完全な合意に至っておらず提案内容が具体化されていない箇所もたくさんあります。
やや中途半端な印象も受けます。
  1. 2018/04/02(月) 00:15:31|
  2. ★★★
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デジタル・ゴールド--ビットコイン、その知られざる物語

私は完全に時代に乗り遅れてしまい、仮想通貨については全くと言っていいほどなにもわからない状態です。
投資(投機)にはあまり興味がないのですが、仮想通貨とはそもそもどういったものであるのかといった背景を知りたいと思い本書を購入しました。

仮想通貨には、様々な側面があります。
  • 通貨を支配する中央銀行が存在しない
  • 匿名性が完全に保たれる
  • 低コストで素早く海外に送金できる
  • 現実の通貨に対する値動きが極めて大きい
  • 新規に発行される通貨の量が制限されるため、通貨そのものに希少価値が発生する
仮想通貨が開発された初期には、主に最初の2点が重要視されていました。

現実の通貨は各国の中央銀行が発行するものである以上、その価値も中央銀行の政策に依存します。
中央銀行が通貨の発行量を増加させた場合、自分の持っている通貨の価値は減少します。
このことは、各国の政府に自らの財産の価値をゆだねてしまっていることを意味します。
また、銀行の口座を開くには個人情報が必要です。
カネの流れは各国の政府に把握され、そこには最終的なプライバシーは存在しません。
私のような一般の人の多くは、いずれも
「原理的にはそうかもしれないが、実際には問題にならない」
と考えるようなことです。
しかし、極端に反政府的な考え方、自由主義的な考え方を持つ人にとっては、これらは我慢できないことだったのでしょう。

この、政府から完全に独立した通貨という理想を体現したのが、残念なことに違法薬物取引サイト「Silk Road」でした。
「Silk Road」運営者は、このサイトが反政府主義の理想を実現する第一歩だと本当に信じていたようですが、実際にやっているのは違法薬物を蔓延させ、かつこのサイトの秘密を知るものの殺害を裏社会へ依頼するようなことでした。
最終的には運営者は逮捕されてサイトも閉鎖されるのですが、これに対してもなお「政府の横暴」を訴える人がいるというのは理解に苦しむことです。
これ以外にも仮想通貨を用いたギャンブルサイトなども人気があり、インターネット草創期にアングラサイトが普及の推進役となったのとよく似ています。

一方で、現実的なビジネスマンたちは3つ目の特性、すなわち優れた送金能力に注目し始めます。
本書の記載は2014年で終了しており、仮想通貨に対する未来がこれから開けつつあることが示唆されています。
しかし、2018年現在からみるとこれもまた残念なことに、仮想通貨は決済手段というよりも投機家のおもちゃに近いような状態にあります。
これは、4つ目と5つ目の特性によるものです。
値動きが大きいために投機性が極めて高く、一種の合法ギャンブルの材料として多くの人に受け止められています。
そして、希少価値が大きいことは、新たな仮想通貨を開発して初期に通貨を自ら確保すればその後の大きな値上がりが見込めることを意味しています。
このため、ビットコイン以外の仮想通貨が乱立する事態を招きました。
いずれも、投機家にとってはよいことなのでしょうが、決済手段としてはとても使えたものではないと思います。
値動きが大きいと決済手段として仮想通貨を保有することそのものに大きなリスクを伴いますし、通貨の種類が統一されていないと、決済のためにすべての通貨に対応する必要がありこちらもコスト増につながります。
結局は一獲千金を狙う一部の人には素晴らしいことなのでしょうが、仮想通貨が真に世に普及するためにはもうしばらくかかりそうに見えます。

本書は翻訳もよく、とてもわかりやすい内容だと思います。
それぞれの登場人物の心情についてかなり詳しく記されていますが、これには相当量著者の推測が入っているでしょう。
完全な客観性は望めないとは思うのですが、それでも世の中に仮想通貨がどう受け止められているかが整理されていると思います。
  1. 2018/03/31(土) 21:32:50|
  2. ★★★★★
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自閉症の僕が跳びはねる理由

私は身近に自閉症と診断された人がいない環境で育ったため、自閉症とは何かということもよくわかっていません。
本書を読むまで完全に勘違いしていたのですが、自閉症だからといって知的障害があるわけではないのですね。
重度の自閉症患者である著者は本書執筆当時わずか13歳だったとのことですが、自閉症あるなしにかかわらずこの年齢でここまで自分の考えを整理できるものだろうかと逆に疑ってしまうほどの文章だと思います。

自閉症かそうでないかは、ゼロイチで決まるものではなく程度問題だと言われています。
(よく使われる「自閉症スペクトラム」という言葉も、これを反映したものです)
よって、この世に普通に暮らしている人の中にも重度の自閉症、軽度の自閉症傾向を持った人、自閉症的性質をほとんど持たない人などいろいろ存在するのでしょう。
私も長年会社勤めをしていて思うのは、月並みですが「いろいろな人がいる」ということです。
なかには柔軟性の乏しい人、こだわりの強い人もいて、彼らももしかしたら自閉症的傾向を持っているのかもしれないと思ったりもします。
(繰り返しになりますが私は自閉症に対する理解が乏しいので、この判断がどこまであっているかはよくわかりません。)
これらの人がトラブルを起こしているのを見ると気の毒になる反面、彼らがしばしば開き直ってしまい、柔軟性を持ち合わせた人があおりを受けて奔走するのを見るとわがままと病気の違いがよくわからなくなったりもします。
今どこの企業でも流行語になっている「多様性」の観点からは自閉症的な人も配慮されるべきでしょうが、一方で社員を採用する際によく言われる「コミュニケーション能力」という言葉は明確に自閉症的な人を拒否しています。
このあたり、企業において自閉症的な人をどう扱うべきか答えが出ていないのだと思います。

本書の記載はわかりやすく、内容も深いように思います。
ベストセラーになったのも納得させられる内容です。
  1. 2018/03/29(木) 23:03:55|
  2. ★★★★
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日本アルプス―登山と探検

日本アルプスでほとんど初めて趣味としての登山を行った人物による、登山体験記です。
本書に記されているのは1890年代の登山ですが、当時は山伏修行か漁師、または行政の調査官くらいしか山に挑もうという人は存在しませんでした。
そのため、今のように登山道も整備されておらず危険な場所もたくさんありましたし、そもそも道がなく崖を登ったり藪をかき分けたりして未踏の地を進むというようなものだったようです。
現地で案内人を探し求めても、何のために山に行きたいのかすら理解されず、山の神の怒りを買うことを恐れるなどの理由で非協力的な態度をとられることもありました。
一応は人通りのある道を通った「日本奥地紀行」のバードですら相当苦労したようなので、ウェストンはそれ以上にタフな交渉を強いられたことだと思います。

山道の記載はとても簡潔なのですが、時には同行者が数100m下の崖に落ちそうになったなどと書かれています。
あちこちで、下から支柱で危げに支えられた二本の揺れる松の木の上を越え、絶壁の面を横切って通った。
私のうしろにいた仲間の日本人が滑って、二、三〇〇メートル下の沸き立つ急流へまっさかさまに落ちるところだった。
幸いなことに、彼は猫のようにすばやく一瞬のうちに体制を取り戻した。
けれどもすっかり真っ青になった彼の頬には、身内に感じた驚きが表れていた。
「松の木」というのは、丸木橋を指しています。
崖や急流に丸木橋が掛けられ、ときには崖をトラバースして進んでいく様子が述べられていますが、本件の記載はこのわずか4文のみです。
人がひとり死ぬ危険があったのですが、それについて大げさに描くほど珍しい事象ではなかったのでしょう。
それでもなお、山に挑もうとするのは現代の私でも理解に苦しむところがあります。

ときには、単身で現地に乗り込んで日本語で交渉して、日本人の案内人を雇って山に挑むこともあったようです。
バードが常に通訳を伴っていたのに比べると、より一層難度の高い旅だったのでしょう。
しかも、登山道具もいまほど洗練されておらず、靴や服が破損したこともしばしば記載されています。
下山後は日本のあんまや温泉を堪能しており、物おじしない相当たくましい人物だったことが想像されます。

旅の厳しさに比べて記述が極めて淡々としているのですが、それでも日本の風俗などに触れたところもあり面白いです。
宿ではノミに苦しめられたことが何度も述べられていますが、現代の日本ではノミに出会うことはまれです。
わずか130年前とは思えないほど、日本も様変わりしたのがよくわかります。
  1. 2018/03/24(土) 21:34:40|
  2. ★★★★
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イラストで学ぶ ディープラーニング

ディープラーニングは、今はやりの人工知能の中でも特に画像認識に力を発揮する分野の技術です。
10年以上前からアマゾンは「メカニカルタルク」というサービスを開始しています。
これは、写真を見てそれが何の写真であるかを判断するという、人間には簡単だがパソコンが自動でやるのは難しいような仕事を遠隔で行うというものです。
メカニカルタルクは多数の非熟練労働者が登録しており、彼らを用いることで大量の写真データベースを作り上げることが可能です。
そして今、この膨大な蓄積を用いて、機械が自動で写真の判別を行えるところまで来ており、すでにかなりの分野で実用化されています。
メカニカルタルクのゴールは自らの仕事を無くすところにあるのですが、そのゴールが見えつつあるといってもよいでしょう。

本書ではこの画像認識によく使われるディープラーニングについて
初めてディープラーニングを学ぼうとする、またディープラーニングの研究にこれから挑戦しようを(ママ)している学部生や大学院生、さらには企業での研究開発にかかわる方に対してわかりやすく理解してもらう点に重点を置き、本書のタイトル通りイラストでわかるようにすることを心がけました。
とあります。
しかし、残念ながらこの意図通りにはなっていないと思います。
まず一読して感じたのは、単語が定義されないまま無造作に使われているということです。
過学習、尤度関数などといった単語は定義なしでは理解困難であり、かつ少し紙面を割いて定義すればそれほど難しいものではありません。
このあたりの記載が極めて不親切なため、この手の入門書によくある「わかっている人が読むと簡単すぎるが、わからない人が読むとよくわからない」という対象者がいない入門書になってしまっているように思います。

ディープラーニングの本当の基礎的な考え方をだいたいつかむには役に立つようには思います。
しかし、あまり過度の期待を抱くことはできない本です。
たとえ分厚くても、記載の親切な本を読んだ方が難度は低いでしょう。
  1. 2018/03/18(日) 17:47:06|
  2. ★★★
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緑の家

古本屋さんで見つけた、バルガス=リョサの作品です。
世界終末戦争」以来なのですが、リョサがノーベル賞を取ったおかげで本書も文庫版が発行されるなど、入手しやすくなりました。
2010年以前はリョサの本は軒並み、古本市場でプレミア価格がついていたのを覚えています。

複数のプロットが同時並行で語られ、最終的に一点に収束するさまは見事の一言です。
ある一つの事柄を進行形のできごととして語る視点と過去のできごととして語る視点が混在して、予告なしに場面が次々に入れ替わる手法がとられているので、かなり注意深く読まないと一瞬で混乱に陥るでしょう。
また、これも海外の小説ではよくあることですが、同じ名前を持った異なる人物が複数存在したり、同じ人物でも呼び名が複数あったりするので、これも認識する必要があります。
しかし、慣れてしまえば大したことではないと思います。
ストーリー自体は明確で深読みの必要もありません。

全く異なる国、異なる手法の小説ですが、「時は過ぎゆく」を思い出します。
すべての人生は長い歴史の積み重なりの結果であり、その場その場で見えているものがすべてではありません。
現時点からは想像もできない過去があったり、未来もまた思いもよらないものです。
多くの場合未来はバラ色とは限らないのですが、それでも生きていかざるを得ません。
人生の終盤においては過去の多くの出来事は人々の記憶から流出し、あれほど大騒ぎしていたような事件も振り返ればあいまいなことととなり、そして誰も知ることなく消え去っていきます。
「色即是空」と言ったりしますが、まさにその通りだと思います。

本書を執筆した当時のリョサは若干30歳。
しかしながら、恐ろしいほどの熟練の技を感じさせる小説です。
かなりよみごたえがあるのですが、読み終わるのが本当にもったいないと感じました。
  1. 2018/03/18(日) 17:27:20|
  2. ★★★★★
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盤上の向日葵

古本屋さんで店番の人に薦められて購入したものです。
2017年ミステリーベスト10の2位とあったのですが、とくにミステリーらしい展開には感じられませんでした。
私の中での「ミステリー」の定義が狭すぎるのかもしれません。

世の中に七組しか存在しない貴重な将棋の駒とともに、地中から発見された白骨死体。
ベンチャー企業の経営者から異例の転身を遂げた若きプロ棋士と、駒との因縁をもとに白骨死体の身元が明らかになっていくというものです。
ただ、謎らしい謎はあまりなく、通常の物語として話が淡々と前に進んでいくような印象を受けました。
私の経験上、ミステリーの多くは前半は準備期間で読むのに気力が必要な代わりに、謎が明らかになる後半は面白くなるということが多いのですが、本書はそんなこともなく予想通りに展開します。
途中、将棋を指す場面でどんな手が指されたかの描写があるのですが、その手がすごいのかすごくないのかも素人の私にはよくわかりません。
漫画だと将棋を詳しく知らなくても白熱した対局の雰囲気を出せるのでしょうが、小説では難しいのでしょうか。
分厚いのでとくに読みやすいわけでもなく、私とはあまり相性が良くなかったのかもしれません。
  1. 2018/03/06(火) 23:48:19|
  2. ★★★
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紅茶の本―紅茶とじょうずにつきあう法

古本屋さんで購入したのですが、献辞つきの著者サインが記されていてびっくりしました。
所有者の方が亡くなったとかで大量に処分した本に混ざっていたのでしょうか…。
(献辞は英語が達筆すぎて一部何を書いてあるのかよくわかりませんが、受け取られた方のお名前ははっきり読み取れる内容でした)

私は紅茶が好きで、旅行先のお土産物屋さんで和紅茶を売っていると必ず購入します。
しかし、その多くはティーバッグなので購入してから後悔することが多いです。
私は基本的に茶葉の状態で買って急須に入れて飲むので、ティーバッグだとお茶の出が悪くてあまりおいしく入れられないのです。
(私の入れ方が悪いのかもしれませんが)
お土産物屋さんで茶葉の紅茶を売っているのはかなりレアケースで、だいたいはティーバッグのみの販売です。
緑茶のほうは、普通に茶葉で売られているのですが。

著者は紅茶の世界ではかなりの権威のようで、本書にも著者ならではのこだわりがたくさん記されています。
そのため、そのこだわりをうるさく感じる方にはちょっとうっとうしい本かもしれません。
しかし、このこだわりの内容は私の嗜好と一致しているので、個人的には納得のいく内容でした。
私はミルクティーが好きで、レモンティーについてはとくにホットの状態でおいしいと感じたことがあまりありませんでした。
本書には、紅茶というのは基本はミルクティーで飲むべきものであり、レモンティーは成分がうまく抽出できていない薄い紅茶にのみ合う、かなり変則的な飲み方であるという旨の記載があり、そういうものかと思いました。
また、多くの喫茶店で出される紅茶は入れ方が悪く、味が薄いということも書いてあって、これも私が感じていた内容と完全に一致します。

本書では、紅茶は沸騰したての熱湯を使って、ポットを使っていれるものだということが繰り返し述べられています。
これは、ポットのお湯でいれることのできるインスタントコーヒーに比べるとかなり面倒なことだと思います。
会社の給湯室に置かれている電気ポットでコーヒーを飲むという習慣の方が多いことを考えると、この人たちに紅茶へののりかえを促すことはとても難しいと感じました。
いまでも紅茶がそれほど普及しているように思えないのは、沸騰したての水を使う必要があるというハードルが高いからでしょう。
  1. 2018/03/04(日) 21:19:35|
  2. ★★★★
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