雑記+ブックレビュー

書評というほどのものはありません。読んだ本に絡めて、日々思うことなどを書いていこうと思います。

アフガニスタンの風

ノーベル賞作家レッシングによる、ソ連軍の侵攻を受けたアフガニスタンを描いたルポです。
レッシング自らが聞いた、アフガニスタンで様々な派閥のムジャヒディーンたちの話や、またイスラム教の教えに従って家庭の奥深くに隠されたままの女性たちの声がつづられています。
ベトナム戦争により多くのベトナム人が犠牲となったことは世界中で知られているのに対し、アフガニスタンで数万人、または10万人もの死者が出たことはあまり知られていません。
ムジャヒディーンたちが声をそろえて言う、西洋諸国は自分たちの苦境を知れば必ず援助してくれるはずだというのが正しいかどうかは疑問ですが、このように一部の宣伝に成功した問題ばかりが大きく取り上げられるという状況は現在でも変わっていません。
レッシングはこのような問題意識の非対称性も指摘しています。

一方、レッシングはムジャヒディーンたちに対しても、とくに女性の扱いについて批判の目を向けます。
高邁な思想や死の危険を顧みず戦う勇気について演説を行うと同時に、妻たちに対して抑圧的な態度をとる男たち。
以下は、レッシングが女性たちに対してインタビューを行っている最中に夫が帰宅してきた時の様子です。
そこへ、突如としてふたりの男、つまり夫たちが姿を現し、雰囲気は一変してしまった。
(中略)
アフガン人にしては背が低くやせぎすで、きびしい陰気な顔つきをしている。
疑い深くていばり散らす。
こわがられた方の夫だ。
そこで女たちは突然姿を消し、ベランダに出たりそのそばで窓の外を眺めたり、狭苦しい台所で料理を始めたりする。
顔もベールですっかりおおってしまった。
(中略)
所有欲が強く腹をたてている看守のごとき夫、好色な目をした夫は、旧い流儀のよい父親でありまたよい夫なのだろう。
女房孝行で、嫉妬深く、性的で、あれこれ要求しながらすべてをつつみこむ夫。
前時代的ながらも、その文化においては理想的とされる男性像は、相当程度女性の側の犠牲により成り立っています。

全体として同じ内容をぐるぐると何度も繰り返すという、英語圏のルポにありがちな冗長さを持った文章です。
私はどちらかというと簡潔な文章のほうが好みなので、ちょっと読んでいて疲れてしまいました。
本書が書かれた1986年当時にはソ連軍の侵攻は永遠に続くかとも思われましたが、実際はその数年後に撤収が完了し、その後は内輪もめを主体とした別種の泥沼が始まります。
ソ連軍に対抗していた間はわかりやすい異人種の敵がいたのですが、今となっては隣人が敵となってしまうという意味において、状況はさらに悪化しているのでしょう。
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  1. 2017/11/24(金) 23:20:46|
  2. ★★★
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外交五十年

古本屋さんで見つけた本です。
幣原喜重郎が最晩年に口述連載した、自らの外交官としての回想録です。
冒頭は将来日露戦争で敵味方となるロシア人将校と朝まで酒を飲んだというような話から始まるのですが、その後は戦前の外交についての核心的な裏話がたくさん述べられます。
首脳クラスになると私のような者からはいったいどのような仕事をしているのかさっぱり想像がつかないものですが、本書を読むと意外と普通の会社とやっていることは変わらないのだなと思いした。
連絡不行き届きで謝ったり、物事を前に進めるのに話を通しやすい人を探したり、センスのない人が見当違いのことを言いだして失敗したり…。
まだ生きていたり亡くなったばかりの人を悪くいうわけにはいかないので、基本的には幣原自身がある程度その人格を認めた人物ばかりが登場します。
もちろん、ある程度自らに都合がよいような脚色はあるでしょうが。

戦前も日本で多くの人が、中国への侵攻や各国との関係の悪化を押しとどめようとしていたことがよくわかります。
しかし関東軍が本国政府の制御を振り切って、独断で戦争をすすめてしまったという面が相当あったようです。
幣原自身は戦争になる前に様々な国の人と会っているので、彼らが極悪非道な相容れない存在ではなく、普通の人間であることはよく理解していました。
ただ中国もアメリカもロシアも、そして日本もメンツと排他的な気持ちから引くに引けなくなってしまった面もあったのかもしれません。

途中、幣原が腎臓結石に苦しめられながらも首相代理として奮闘した様子が述べられています。
苦しみぬいた末にビワの種大の石が排出されたそうですが、想像するだけでも恐ろしい話です。
現在は衝撃波や内視鏡で石を砕くことが可能ですが、当時は外科手術で切り開くしかなく、可能な限り自然な排出に任せるしかなかったのです。
恐ろしい話ですが…。
  1. 2017/11/19(日) 22:39:53|
  2. ★★★★★
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安吾の新日本地理・安吾新日本風土記

青空文庫にて無料で読めるものです。
無料なだけに、残念ながら一部写真等が掲載されていませんがこれはやむをえないことでしょう。
戦後の焼け跡がまだ残る1950年代前半に市民の生活を記録したルポだそうです。
この前に連載されていた「安吾巷談」が関東中心であるのに対して、新日本地理以降はおそらく交通の復活により日本全国の風景が記録されています。
それでも、新幹線すらなかった時代に秋田や宮崎まで行くのは恐ろしく時間がかかったことでしょう。
今ほど電車やバスの座席も快適でなかったはずなので、ちょっと想像もつかないです。

「新日本地理」の前半はまだこなれていない?せいか、著者の偏見も含めて言いたい放題という印象を受けます。
仙台の正宗は完全な田舎者扱いですが、一方で大阪は妙に人情にあふれた町のような扱い。
これはこれで面白いのですが、後半になってくるとだんだん古代史などのよもやま話が増えてきて、よくある歴史好きのおじさんの自費出版本みたいになってくるのが残念です。
古代は物証となる書物がほとんどないので、職業専門家も含めてみなさん好き勝手にものを言っているイメージがあります。

新日本風土記はわずか2話で打ち止めとなっているのですが、これは著者本人が休止したからだそうです。
本当は第3回執筆のために高知を訪れていたそうですが、結局何も書かれることなくお蔵入りとなってしまいました。
それにしても毎回分量がまちまちで最大で倍程度の差があるのですが、当時はこれでも連載として許されたのでしょうか。
おおらかな時代だったのかもしれないですが…。
  1. 2017/11/19(日) 10:41:56|
  2. ★★★
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コルテス報告書簡

16世紀にアステカを征服したことで有名なエルナン・コルテスによる報告書をまとめたものです。
以前読んだ「征服者と新世界」にもコルテスの第2、第3書簡が納められていたのですが、本書にはこれに加えてメキシコ遠征以前の事情を書いた第1書簡と失敗に終わったホンジュラス遠征について述べた第4書簡が納められています。
コルテスは征服者としてだけでなく事務能力も相当優れていたようで、報告内容は詳細でわかりやすいです。

当時の征服者は新大陸の原住民だけでなく、自らの地位や権益を脅かそうとするヨーロッパ人(スペイン人)とも争わなければなりませんでした。
そのため、力づくで反乱を抑えたり、またはだまし討ちで監禁や暗殺したりということも多く、相当タフでなければ生き残れなかったようです。
コルテス自身も、もともとはエスパニョーラ島(キューバ島)のディエゴ・ベラスケスに命ぜられて新大陸の探検に向かったのですが、メキシコ湾沿いに新たに作った都市ベラクルスを根城として無断で独立してしまいました。
メキシコを征服したのちも、コルテスを妨害しようとやってきたパンフィロ・ナルバエスと戦い勝利するなど、かなりの修羅場をくぐっています。
メキシコとの戦いでも数度は死の危険にさらされ、頭骨を骨折したり指を失ったりしながらもきわどいところで生きながらえています。
当時の征服者たちの粗暴さ、残酷さはよく知られていますが、このような状況では繊細な神経では生き残れないことでしょう。

一方、コルテスは原住民たちの知性や文化を認めてもいます。
未開の部族しかいなかったエスパニョーラ島と比べると、極めて複雑で高度な文明を持ったアステカは分野によってはスペインを凌駕しているように見えたようです。
レパルティミエント制度のもと、原住民を財産として割り当てられるものと考えるのが一般的であった時代に、相当先見の明があったように思います。
バルトロメ・デ・ラス・カサスが「インディアス史」等で原住民の人権蹂躙を批判するよりもずっと前に、コルテスは彼らの人間性を認めていたこととなります。
実際、アステカを滅ぼしたのもメキシコ人同士の争いをうまく利用したからであり、原住民の思考を理解したことが成功につながったのでしょう。

一方で第4書簡に書かれているホンジュラス遠征は本当に悲惨です。
ユカタン半島の付け根を横断してホンジュラスに至ろうとしたのですが、当地は沼地だらけで道も整備されておらず、スペイン人の大きな武器であった馬を伴った行軍には完全に不向きでした。
結局ユカタン半島の横断には成功したものの、餓死寸前の状態だったためにそこから活動する余力はなく、そのままエスパニョーラ島に既刊せざるを得なかったようです。

本書は相当長いですが、翻訳もよく読みやすいです。
「征服者と新世界」では「サンチアゴ!」といって突撃していたのが、本書ではこの部分が「突撃」と意訳されていたのは面白かったです。
  1. 2017/11/13(月) 21:08:37|
  2. ★★★★★
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ムーア人の最後のため息

悪魔の詩」で有名なサルマン・ルシュディの著作です。
本書は「真夜中の子供たち」、「悪魔の詩」と合わせて三部作をなしているそうですが、とくに「悪魔の詩」は長大でハードルが高いという噂だったので先にこちらを読んでみた次第です。
とはいえ、本書もほぼ同じくらい長大だったことが判明しましたが…。

インドのムンバイ近郊のエレファンタ島で代々香辛料を扱ってきたダ・ガマ家と、ムンバイのユダヤ人であるゾゴイビー家の夫婦から生まれたモラエスによって語られる物語。
バスコ・ダ・ガマの末裔とされるダ・ガマ家はその起源をポルトガルに持つのに対し、ゾゴイビー家の先祖はレコンキスタによりイベリア半島から放逐されたムーア人でした。
モラエスの出自はヨーロッパ、ユダヤ、インドなど複数にまたがり、非常に複雑であいまいです。
著者のルシュディ自身も、インドからパキスタンに移住した両親を訪れた際に、作品に対する検閲の厳しさからすぐに居住地のイギリスに戻ったという経験があるとのこと。
モラエスのルーツの多様性は、著者の経験をある程度は引き継いでいることでしょう。

モラエスの母オローラは画家として大成する一方で、父エイブラハムはダ・ガマ家の家業を非合法な方向に伸長して大幅に規模を拡大しました。
しかし最後には現実にも起きたボンベイの連続爆破事件とよく似たテロによりすべては崩壊し、オローラの作品もそのほとんどが焼失しました。
登場人物たちはすべて強烈な感情とともに生きており、そして若き日の善良さ、美しさは年をとるとともに失われます。
なかでもモラエス自身は通常の2倍の速度で成長し、老いるという病を抱えており、30代半ばにしてすでに70代の諦観を身に着けてしまったかのようです。
また、かつてのオローラの信奉者であったヴァスコ・ミランダは、晩年にはオローラを含めたゾゴイビー家すべてを憎み狂気の中でその崩壊を手助けすることになります。

全編にわたり非現実と現実が入り混じった狂気が充満していて、読んでいて相当疲れる作品でした。
著者も時期も全く異なるのですが、最近読んだ「竹原秋幸三部作」にもよく似ていると思います。
注釈はつけられているのですが、ある程度はインドの歴史と地理に詳しくないとよくわからないところが多いでしょう。
それでも、物語にどっぷりつかれるという意味ではとても面白い小説だと思います。
  1. 2017/11/05(日) 19:58:32|
  2. ★★★★
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世界しあわせ紀行

タイトルとは裏腹に一貫してやや沈鬱な雰囲気が漂う不思議な本です。
「幸福学」の権威であるフェーンホーヴェン教授が作成したデータベースをもとに、さまざまな国を訪れて幸福になる方法を探し求めたというノンフィクションです。
世界で最も幸福な国の一つであるアイスランド、紛争などがないにもかかわらず最も不幸な国の一つであるモルドバ、「国民総生産(GNP)」に変わり「国民総幸福量(GNH)」の指標を提唱するブータン、微笑みの国タイなど…。
我々は「楽園」といえば普通は南国を想像しますが、フェーンホーヴェン教授のデータベースによると世界で最も幸福な国の多くは北方に存在します(アイスランド、スイス、スカンジナビア諸国など)。
一方、同じ北方の国々でも旧ソ連邦の共和国は幸福度が低い傾向にあります。
不都合な事実としては、幸福度が高い国は均質性も高いことが多く、移民に寛容だからといって幸福度が高いわけではありません。

とくにモルドバで明らかになったのは、住民同士の相互信頼のない場所では不幸になることです。
旧ソ連の国ではかつてのスターリンによる大粛清の影響がまだ残っているようで、隣人や友人にすら完全に心を許すことはできません。
このため、他人に不幸が起きた時も、それを心配したり助けたりするのではなく、自分に降りかからなかったことを感謝するような傾向があるそうです。
これは、インドの貧困層の幸福度が比較的高く、アメリカの貧困層の幸福度が(インドの貧困層に比べて格段に裕福であるにもかかわらず)低いことにもつながります。
インドの貧困層はコミュニティは崩壊しておらず、隣近所同士の付き合いは機能しています。
一方アメリカの貧困層はしばしば孤立しており、社会的にも無視されたかのような存在となっています。
結局のところ幸福度は個々人の気の持ちようよりもむしろ、その社会全体によるものだという結果に見えました。
もしそうだとすると、著者の「幸福になる方法を探し求める」という目的は残念ながら達成できなかったか、または「幸福になる方法などない」という残念な結果が判明したということになります。
なぜなら、周囲の環境が幸福度には重要なのであり、その人ひとりの行動の寄与は小さいからです。

著者の文章は基本的には説得力があり、不都合ながらもその通りなのだろうなと思わせられるものばかりでした。
巻末付録の日本人同士の対談は極めて浮世離れしていて、本書の内容とはなじんでいないように思いましたが…。
  1. 2017/10/22(日) 19:12:52|
  2. ★★★★
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パリ ―モダニティの首都― 新装版

本書は3部構成になっているのですが、第1部ではルイ・フィリップ、そしてもっとも手厚い第2部はナポレオン3世が権力を握っていた時代、最後の第3部ではパリ・コミューンの崩壊と市街の炎上を扱っています。
それぞれを文学作品に当てはめると、第1部はバルザックの「人間喜劇」、第2部はゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」により描かれた時代でした。

本書ではそれぞれの文学作品を引用しつつ、当時のパリがどのような雰囲気にあったかが述べられています。
  • オスマンの都市改造で旧来の路地がとりつぶされ、広大な街路が発生した
  • 地方から労働者が流入して家賃が異常なほど高騰し、周辺区を併合して膨張した
  • 旧来の徒弟制度が崩壊し、単純労働者が増加した
  • 労働者が貧困にあえぎ、女性の多くが売春を生業としていた
  • 鉄道の普及により時間と空間が一気に縮まり、一方で比較的裕福なものも過密な客車で長時間耐えることを余儀なくされた
など、急速にパリはその姿を変えていきました。
このあたりはフランス史に詳しくない私はあまりピンと来ないのですが、複数回の革命は当時の人には印象深く、まさに激動の時代だったのでしょう。

他の諸都市と比較しても「パリ」という都市には特別な何かが備わっているように、多くの人は感じるようです。
それは過去の歴史の重みもあるのですが、19世紀に経験したこの急速な変化にも要因があるのでしょう。
オスマンの時代に完成された街路を保存するため、現在では高層ビルの建設が禁止されています。
これは、家賃の異常な高騰を招いており、「アメリカ大都市の死と生」でも述べられていたとおり町全体がショーウィンドウのように、住むためではなく見るためのものとなってしまいました。
19世紀とは異なった意味において、パリはまた家賃の高騰を経験しています。

とくに第2部ではさまざまな統計資料を用いてパリの実情を分析しており、とても面白いと思いました。
しかし、それ以外の文学作品を援用している部分では、その作品を読んでいないと全く意図が分からず理解が困難です。
とくにバルザックの「従兄ポンス」は複数回言及されており、本書を読む前の段階で知っておくべきものだったようです。
ある程度フランスの文化、歴史、文学についての知識がある人向けの本だと感じました。
  1. 2017/10/16(月) 23:00:53|
  2. ★★★★
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火の記憶

収奪された大地」の著者ガレアーノによる作品です。
著者は本書について序文に
アンソロジーではなくひとつの文学的創造物として、文書資料に依りつつも全く自由に動き回る。
著者はこの作品がいったいどのジャンルに属すかを知らない―――小説、随想、叙事詩、記録、証言…おそらくそのどれでもあり、またどれでもないのだろう。
と記していますが、確かにその通りで小説ともノンフィクションともいい難い内容です。
プロローグとしてアメリカ大陸の先史時代から伝わるさまざまな神話、言い伝えが配置され、続いてコロンブス来訪以降に発生した出来事が年代順に述べられます。
一つ一つの節はおおよそ1ページ以内に収まる程度の短さなのですが、これが大量につながることで当地で起きた有名な出来事がすべて網羅されるような形になっています。
映像などで短いショットが次々と連なることでスピードを感じさせるようなものがありますが、これと似たような効果を持っているように思います。
極めて長大な物語ですが、それでも約500年の歴史のなかで重要な場面ばかりを凝縮しているため、すべての場面がクライマックスのような盛り上がりです。

本書の記載が1984年で終了することについて
御覧の通り1984年で終わります。
それ以前でもそれ以降でもないのはなぜか、こちらにも不明。
おそらくこの年が我が亡命の最後の年、ひとつの周期の終わり、ある世紀の終わりだからでしょう。
と述べられています。
ウルグアイ出身の著者は軍事クーデターにより亡命していたのですが、民政移管後の1985年に帰国を果たしました。
これ以降、一時期ウルグアイ経済は低迷したものの、現在も民政は続いています。
この意味において著者がいう「ひとつの周期の終わり」というのは正しかったのかもしれません。

本書で描かれるのは、そのほとんどが収奪の歴史です。
そもそものコロンブスの来訪も現地民に対する略奪、殺戮を伴っていましたし、その後の征服の歴史や、巨大なアメリカ合衆国によるラテンアメリカの裏庭化など、常に民衆は巨大な力により奪われ続けました。
(このあたりは「収奪された大地」でも主張されていることですが)
不公正に対する怒りから立ち上がった反乱者が、軍事的に敗北して死を迎える描写は本書内で繰り返し現れます。
そして彼らはみな、大義に殉ずることを誇りながら殺されていくように描写されています。

ただ、本書ではラテンアメリカの歴史的背景についてはの説明は極めて不親切です。
そのため、突然人名が現れるのですが、その人名についての予備知識がないと何についての文章なのか全く分からないでしょう。
私自身、本書の半分以上がよく理解できなかったと思います。
たまたま「大航海時代叢書」を読んでいたので16世紀くらいまでの記述は理解できる部分も多かったのですが、例えばメキシコ革命やニカラグア占領などについては全く知識がなく、あまりピンと来ない部分も多かったです。
日本語訳自体はとても良いのだと思いますが、それにもかかわらず日本人が本書を読んでちゃんと理解できるかははなはだ疑問です。
本質的にはとても優れた本なのだと思うのですが…。
  1. 2017/10/11(水) 23:49:22|
  2. ★★★★
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中上健次 電子全集1 『紀州熊野サーガ1 竹原秋幸三部作』

中上健次は「未完の平成文学史」で知ってから興味を持っていました。
フォークナーの「ヨクナパトーファ・サーガ」に影響されて、自身の故郷である紀州熊野を舞台として書き続けた「紀州熊野サーガ」。
こういうと差別的になってしまうのですが、中上健次の書く熊野地方は後進的で暴力に満ちあふれ、まさにフォークナーの書いたヨクナパトーファと類似しているのかもしれません。
以前「化粧」を読んだのですが消化不良だったので、今回は紀州熊野サーガの中核を閉める「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」と、その幕間の「覇王の七日」が納められた本書を読んでみました。

分量としては「枯木灘」が「岬」の倍で、「地の果て 至上の時」が「枯木灘」のさらに倍くらいあるので、読み進めるごとにどんどん長編化していきます。
結婚と離婚、私生、死別等による極めて複雑で濃密な血縁関係、舞台の紀州熊野(今の熊野市というよりは、新宮市を中核と考えたほうがよさそうです)の貧しい路地とその崩壊、そして主人公竹原秋幸とその父龍造の呪われたかのような血。
「岬」や「枯木灘」における秋幸は土と会話するかのような土木作業を好み、紀州熊野の大地との一体感にあふれています。
しかし、「枯木灘」の最後に腹違いの弟を殺害して服役したのち帰ってきた秋幸は全く別人のようになってしまいました。
龍造は戦後の焼け跡にできた路地や、その周囲の山林をあくどい方法でかき集めて一代にして資産家となったのですが、「枯木灘」以前の秋幸はこの龍造への嫌悪感に満ちあふれていました。
しかし、服役後の秋幸は龍造の後継者として仕事をはじめ、父龍造との愛憎相半ばする複雑な関係を結びます。
秋幸が服役している間に路地の民はその土地の権利を龍造により半ばだまし取られてしまい、彼が再び世に出た時には故郷の紀州熊野の地は全く様変わりしていました。
秋幸はその龍造による仕事を受け継ぐべく、父をそっくりなたくましい体を利用してヤクザに近い世界を渡り歩くようになったのです。

この三部作を通して読むと極めて長く、その要素を言い尽くすことはできませんが、最も重要な要素は路地の民の故郷喪失にあるのだと思います。
路地を失った人々の一部は「水の信心」なる新興宗教に入れあげますが、教祖の母が死後よみがえるはずのその日に、彼女の腐乱死体を目の当たりにして混乱に陥りました。
また、一部の全く財産を失ったものは、浮浪者として路地跡地を占拠します。
秋幸の父違いの姉は、路地育ちだったにもかかわらず龍造の口車に乗り路地の破壊に手を貸した末に、路地の再開発がうまくいかずに精神の均衡を失いつつあります。
環境の急激な変化についていけずに多くのものが心身や財産を崩していくのですが、その中心にあるのはいつも龍造でした。

女性はある年代になるとそのほとんどが遊郭行きになり、男衆は酒に溺れるしかないというほどの悲惨な貧困。
そこから抜け出したにもかかわらず、その心は満たされることはありません。
本書はよりどころを失った人々の悲しさと、破壊神としての龍造への複雑な思いを描いているのかもしれません。

電子書籍なので買う前にはわからなかったのですが、本書一冊だけで極めて長いです。
お値段からするとお得です。
お得ですが、読み進めるにはかなりの気力が必要なことも事実です。
  1. 2017/10/10(火) 00:37:14|
  2. ★★★★
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愚者のスプーンは曲がる

本屋さんでなんとなく見つけた本です。
「このミス」大賞と背表紙に書いてあったので大賞受賞作品なのかと思ったのですが、よく見ると一次選考通過しただけのものでした。
「隠し玉」扱いで特別にデビューしたものだそうですが…。

主人公は他人の超能力をキャンセルする能力があるのですが、その代償として常に(小さな)不幸が降りかかる体質を持っています。
冒頭これを読んですぐに気づいたのは、「とある魔術の禁書目録」と設定が丸かぶりだということです。
有名作品とこれほどの似た設定だったら、いくら面白くとも大賞にはなれないですね…。
ただし、「とある魔術の禁書目録」とは違って主人公がモテモテということはありません。
作中で主人公が一目ぼれする場面があるのですが、むしろその相手の女性からはやや嫌われているような雰囲気です。
女性といえば、本書で登場する主な女性2名は両方ともクールビューティーな感じです。
著者の趣味なのかもしれません。

極めて読みやすくて面白いのですが、ラストはちょっと反則のような印象を受けました。
超能力に頼ってしまえば、どんなストーリーでもできてしまいますね…。
最後はいわゆる「引き」があって、続編が予定されているようにも見えますが、果たしてどうなのでしょうか。
本書の売れ行き次第なのでしょうが。
  1. 2017/10/04(水) 23:39:40|
  2. ★★★★
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わが魂を聖地に埋めよ―アメリカ・インディアン闘争史

こちらも古本屋さんで見つけた本です。
南北戦争周辺のアメリカの歴史や、先住民と侵入者(主に白人)の闘争史などに興味があり、いろんな本を探していたのですが新刊書ではあまり見つかりませんでした。
本書は私の個人的な興味にはぴったり合うものです。

日本でもかつては今ほど差別発言に対して厳しくありませんでした。
そのため、カルピスのマークが黒人であったり、天才バカボンで片言の中国人を馬鹿にするような箇所があったりしたものですが、これらと類似の表現としてステレオタイプなインディアンというものがありました。
「インディアン、ウソツカナイ」と片言でしゃべり、口に手を当てて「アワワワワワ」と言いながら襲い掛かる、頭に羽根飾りを身に着けた集団。
私も子供のころ真似をして遊んだ覚えがあります。

あれからこのステレオタイプについて深く考えたことがなかったのですが、本書を読むといろいろと理解できることがありました。
「インディアン、ウソツカナイ」という発言の裏には、「白人は嘘ばっかりつく」というインディアン側の主張があったのです。
一方的にやってきた白人たちは、インディアンたちに土地の使用権を貸与するよう迫り、交渉の末彼らと無数の条約を結びました。
しかし、白人の民間の鉱山師たちは条約を無視して無断でインディアンの土地に入り込み、彼らの生活を妨げます。
さらに白人の軍隊は鉱山師たちの侵入を防止する手立てをとるどころか、現状を追認してインディアンに次々と新たな土地分与を要求し、拒否したインディアンに対しては「暴力を振るった」という名目で逮捕や戦闘行為に及びました。
なし崩し的にインディアンの土地は削られて行き、同時にインディアンたち自身も虐殺や戦闘行為により数を減らし、ついにはほぼ絶滅してしまったのです。

最近、アメリカでは南軍のリー将軍が人種差別主義者だったとして、その銅像を撤去するべきだと主張する運動が盛んです。
しかし、インディアン討伐を積極的に推し進めたのは、南北戦争で勝利した北軍のグラント将軍であり、その言動はどうひいき目に見ても人種差別的であったといえます。
結局のところ、現在のアメリカ国家自体は過去の白人による略奪を基礎として成り立っており、これはリー将軍とかグラント将軍といった限られた人物の責任ではなかったということなのでしょう。

初版発行が1972年、原書の発行が1970年とかなり古い本ですが、内容は全く古さを感じさせません。
読みやすくて内容の濃い、とても面白い本だと思います。
  1. 2017/09/24(日) 20:56:19|
  2. ★★★★★
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絶滅された世代―あるソヴィエト・スパイの生と死

古本屋さんで見つけた本です。
本書の著者エリザベート・ポレツキーは、ソ連のスパイ活動に従事しながらも最後にはスターリンにより暗殺されたイグナス・ライス(通称ルードヴィク)の妻です。
本書では、スターリン登場後にいかにして当初の共産主義の理想が崩れ去り、「大粛清」により多くの人が消え去ってしまったかが描かれています。
スターリン時代のソ連における「大粛清」については「人生と運命」でも読んだことがありますが、いつ官憲に言いがかりをつけられるかわからずに生きるというのは想像を絶する状態だと思います。
私は5年ほど前に一度だけロシアに行ったことがあるのですが、街中を軍人が歩き回っているのを見るだけで非常に恐ろしかったのを思い出します。
日本の自衛隊と違って、「市民に愛される軍隊」というような姿勢は全く見られないような国柄だったので…。

有名な3度のモスクワ裁判による粛清以外にも、非公式な暗殺が大規模に行われました。
本書の大量の訳注では登場人物の解説がなされているのですが、その多くはかつてのソ連政府要人だったにもかかわらず粛清により命を失った人々です。
NKVDの長官であったエジョフをはじめとして、ヤゴーダ、メッシングなどは、粛清への貢献ののちに自らも粛清されました。
また、ナチスによる粛清を逃れるためにソ連に亡命した人々の多くも、スターリンによる粛清を免れることができません。
暴力を振るう側と振るわれる側が目まぐるしく入れ替わる状況は想像もつきません。

以前にも同じことを書いたような気がするのですが、スターリンが用いた「政敵にレッテルを貼ってそのすべてを否定する」手段は現代でもよく見られます。
これの恐ろしいところは、実行している当人たちは悪気があってやっているのではなく、正義感に基づいてやっているところです。
かつての新左翼ではこのようなレッテル貼りにより、意見が異なる人を内ゲバで殺してしまうこともありました。
人が人を嫌いすぎると、少し常軌を逸してしまうのではないかと思います。

本書は面白いのですが、少し翻訳がこなれていなくて読みづらいです。
また登場人物も多くて整理しながら読む必要があります。
それでも、真剣にじっくり読めば当時の恐ろしい状況を肌で感じることができるように思います。
参考文献に記されている、粛清されたブハーリンの妻による手記「夫ブハーリンの想い出」や、イグナス・ライスの同僚で米国に亡命したクリヴィツキーによる「スターリン時代」も読んでみようと思います。
  1. 2017/09/17(日) 19:01:19|
  2. ★★★★
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ゲーマーズ!

生徒会の一存シリーズ」の葵せきなの作品です。
すでに完結していると思ってシリーズを全巻購入したのですが、まだ完結していなかったのは大失敗でした。
今後、完結後にまた追記します。

本来は地味で友達のほとんどいない男子高校生が、あるきっかけで複数の女子生徒から好意を持たれるようになるというよくあるラブコメです。
男友達とその彼女、そして友人女子の妹も交えた複雑な人間関係が、勘違いの連鎖でさらに混乱していきます。
最も驚異的なのは主人公の地味男子高校生の、異常なほどの善良さです。
他人が困っているとあれば何をおいても駆けつけ、友人が馬鹿にされたら前後の見境なく怒り出し、他人の幸せを心から願う。
現実では絶対にあり得ないような人がらです。

さすがにちょっと都合が良すぎて、読んでいて少し勢いがそがれることが多かったです。
最後まで読むと印象が変わるのかもしれません。
今般アニメ化されるそうですが、挿絵に描かれた登場人物の姿が私には男性と女性という以外は全く見わけがつきませんでした。
唯一の判断ポイントは髪の色くらいでしょうか。
あだち充作品でもアニメ化しているので、そのあたりは問題ないのでしょうが…。
  1. 2017/09/16(土) 21:45:43|
  2. ★★★
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むらの日本人―′70年代・東北農民の生き方

40年以上前に出版された本です。
古本屋さんで見つけて購入したのですが、巻末に「日本列島その現実」シリーズの広告が掲載されていてなるほどと思いました。
確かに着眼点としては似ています。

高度経済成長が終わり、農村にも貨幣経済の波が押し寄せてきたころの日本の農村の記録です。
当時は兼業農家、それも農業収入よりもそれ以外の収入のほうが多い第2種兼業農家が顕著に増加しており、これに伴って農村部における平日昼間人口が減少しました。
かつては農村における会合や共同作業には一家の当主たる夫が参加していたものなのですが、その当人が出稼ぎや日帰りの賃労働などによって不在となったため、急速に集落内のつながりが衰退しつつあったようです。
もともとはその家の持つ耕地面積がそのまま経済力、集落内での権威につながっていたのですが、兼業が一般化するにつれて中途半端に広い耕地はむしろ兼業の妨げになってしまうため、「五反百姓」などと言って蔑まれてきた零細農家のほうが身軽で裕福になるという逆転現象も発生しました。
いろいろな意味において旧来の秩序が崩壊しつつあったようです。

本書が出版された当時でも「若い人が出ていく」ことが問題視されていますが、彼らは完全に村から出ていったわけではありません。
若者たちはふるさとを捨ててしまったのではない。
出かせぎ者は、盆正月や農繁期には帰ってくる。
日かせぎの青年たちはサラリーマン並みに毎晩帰宅する。
ここでいう「日かせぎ」とは、通いで土木現場などの賃労働に従事することを指します。
現在ではそもそも若者は農村から遠く離れた都会に完全に住まいを移してしまうので、さらに状況が一歩進んだということになるのでしょう。

従来型の農村秩序は、ある地主が存在してその地主の権威は代が変わっても永続します。
また、家同士の付き合いも長く続くことが想定されており、恩の売りあい、返しあいが延々と続くことになります。
このような共同体においては、メンバーが去ることは可能なのですが、新たによそ者が加わることは本質的に困難な状態です。
そして、これはいまだに続いていると思います。
新参者にとって窮屈な村社会に新たに加わるメリットは少ないため、なすすべもなく過疎化が進行してしまったということでしょう。
あと数世代もすればこのような過去の風習の影響もなくなるのでしょうが…。

当時のムラ社会の特徴がコンパクトにまとまっていて読みやすいです。
最後のほうに若手農家の座談会が掲載されているのですが、最も若い参加者でもまだ存命なら75歳。
彼らは現状についてどう思うかが気になります。
  1. 2017/08/27(日) 22:37:09|
  2. ★★★★★
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文明としてのツーリズム―歩く・見る・聞く、そして考える

観光について書かれた本はいくつか読んできましたが、「観光の空間」や「観光のまなざし」のように内容の深いものと、「緑・砂・人」のような単なる旅日記にしか見えないものとの両極端に分かれるような気がします。
これは、観光地に視察に行った結果、著者の過去の何らかの知見と結びついてしっかりと得るものがあった場合と、観光地に行って普通に観光旅行をしてきただけというものの差なのかもしれません。
その意味においては、本書は残念ながら後者に近いです。

本書の「はじめに」では、下記のように著者が紹介されています。
石森修三は、日本でいちばんはじめに観光学(カンコロジア)を提唱しました。
文化人類学的な研究実績だけでなく、観光行政にも大いに関与しています。
高田公理は、社会学の立場から旅や観光を考えてきました。
とくに、情報文明論への展開を試みてきました。
また、神崎宣武は、民俗学の立場から日本人における旅や観光を考えてきました。
しかし残念ながら、私の感じたところでは本書は特にそれらの専門的な視点が活かされたものには見えません。
または、新しそうな理論が提唱されたりしているのですが、これらは検証が全く足りず、説得力のない単なる思い付きのようにしか見えないと思います。
本当に「日本でいちばんはじめに」提唱したのであれば、全く未開の領域に踏み込んだために完成度が低くなってしまったのはやむを得ないのかもしれませんが、それにしても参考文献がほとんど日本語の似たようなものばかりというのはどうかと思います。
現地に行く前の準備、勉強が足りていないのではないでしょうか。

本書の大部分を閉めるのは、三人で一緒に行ったサイパン旅行と海南島、スマトラ島の旅行の記録です。
三人で一緒に行って一緒のものを見たので、当然のことながら別々の著者によって一緒のことが書かれています。
みんなで行って多角的な視点を持つことが重要なのかもしれませんが、慰安旅行に行った後の社内報記事に近いような文章を読んでいると、本当になにか意味があったのか疑問に思ってしまいました。
  1. 2017/08/27(日) 00:10:56|
  2. ★★
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アメリカは食べる。――アメリカ食文化の謎をめぐる旅

古本屋で見つけて購入したものです。
私は、アメリカは2回、東海岸にそれぞれ一週間ずつ行ったことがあるだけなのでアメリカの食というものに対する経験はほとんどゼロに近い状態です。
同行の人はアメリカといえばステーキという印象が強かったようで、その2回ともステーキを食べに行ったのですが、個人的にはステーキはとてもおいしいとは思えませんでした。
一口食べるだけならよいのですが、それ以上だとすぐに味に飽きてしまうのです。
一方で、私が食べた魚料理やカニなどはとてもおいしく、アメリカ=大雑把というのも間違っているのだなと思った記憶があります。

本書は見た目が会社四季報のような分厚さを持っているのですが、その内容も単に食べ物にとどまらず、アメリカの文化にまで深く切り込んでいて重層的です。
著者のもともとの専門は音楽にあったようなのですが、そのためかアメリカの歌謡曲がしばしば引用されており、それでもってアメリカ人の文化的背景を説明しています。
私にとっては東海岸も西海岸も中部もハワイもあまり違いがよくわからないのですが、著者はそれぞれの地域に住みついた民族グループから説き起こして、それぞれの「お国料理」やその意義が解説されています。

前半はイギリス系、スペイン系、フランス系、黒人…などといった各民族集団由来の食べ物が紹介されています。
そして基本的にはどれもおいしい食べ物が主に取り扱われており、ここだけを見るとアメリカの食と文化の礼賛のように見えます。
しかし、後半になると一転してやや沈んだ雰囲気になります。
アメリカの食は、それぞれの民族集団が故郷の料理を、材料が十分に入手できない中で何とか再現しようとしてきた結果であり、
誰もが、自分の国を捨てて作り上げたアメリカ料理だからこそ、そこに望郷の思いが隠されている。
そうなのだな、アメリカの食をコーティングしているのは、あるいは隠し調味料はホームシックという気分だアメリカ料理にノスタルジーを感じてしまうぼくには、そう思えて仕方がない。
と述べられます。
アメリカのノスタルジーについては正直言って私にもよくわからないのですが、アメリカの「日常の」食べ物が全体的に彩りがないのは感じます。
または、食べていて寂しい気持ちになります。
おいしい、おいしくないというのとは別の感情です。
私がアメリカでは異邦人だからにすぎないのかもしれませんが…。

  1. 2017/08/21(月) 23:37:45|
  2. ★★★★★
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化粧

中上健次は「未完の平成文学史」で知ってから興味を持っていました。
これによると中上健次はフォークナーに影響を受けて、自身の出身地である紀州熊野地方を舞台とした作品を多数執筆し、独特の世界観を作り上げているとのことです。
ちょうど古本屋さんで中上健次の本を見つけたので、ためしに購入してみたものです。

15作品が収められた短編集なのですが、確かにどれも紀州熊野地方を舞台としており、世界観は似通っています。
世界観だけでなく、登場人物もほとんどの作品で重なり合っています。
  • 主人公
    紀州熊野の出身だがその後上京。
    両親は離婚して母親に育てられた。
    大男で柔道や相撲の経験あり。
    結婚して二人の子供が産まれるが、酒を飲んで家庭内暴力をふるうことを繰り返したため、一週間の旅行(または出張)中に妻と子供に逃げられる。
    その後仲人のとりなしで、後述の兄の法事の際に家族と再会。
    鳥を100羽単位で飼っていたが、妻に逃げられたのちにすべて逃がしている。

  • 24歳の3月3日に首をつって自殺。
    少年のころは利発であったが、その後麻薬中毒によると思われる幻覚に苦しむ。

  • 頑強であったが50歳のころに心筋梗塞で倒れてから床がちになる。
  • 友人
    熊野で商売を営み成功しているが、最愛の妻に先立たれている。
主人公のモデルは著者であり、かつ周囲の人物もすべて実在のモデルが存在したと思われます。
基本的には上記のエピソード+αが繰り返し述べられるという印象です。
とくに、主人公の勝手な酒乱の言い訳が多く、このあたりに共感できるか嫌悪感を覚えるかにより本書を楽しめるかどうかが変わるように思います。
私には相性が悪い本でした。

また、著者の日本語の癖として、主語を省略して文章を書くことが多くて解読に苦労しました。
「男」と「彼」がまったく別人を指しているなどの独特の使い分けなどもあります。
高校のころの国語の試験でやや難解な文章の意味を問うものがありましたが、この類のものを思い出しました。
幻想的な雰囲気で夢と現を行ったり来たりする効果があるわけでもなく、著者が単に日本語に無頓着なような印象を受けます。
代表作である「」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の三部作を読んだほうがよかったのかもしれません。
  1. 2017/08/16(水) 23:02:46|
  2. ★★★
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自然界における左と右

本書は一般向けの科学書としてはかなり有名な古典だと思います。
著者のマーティン・ガードナーについては数学マジックや数学パズル関連の本しか読んだことがなかったので、古本屋さんで見つけて一度読んでみようと購入しました。

まず一読して全体の構成が見事だと思いました。
一般的な対称性の話から始まり、結晶構造の話で自然界が基本的には対称構造をもとに構成されていることを解説します。
ここで一転してDNAの二重らせん構造や酒石酸のキラリティを用いて生物界での対称性の破れを示し、最後には(当時としては)最新の素粒子理論では無生物でも対称ではないことを説明します。
単に対称性についてのコラムを集めたようなものではなく、全体として一つの話が流れるように綿密に計算された内容です。

一方で、素粒子論のあたりになってくると「宇宙の統一理論を求めて」と同じような苦しさを感じました。
素粒子論は直感的に理解することは実質的に不可能であり、かなり複雑な数式を用いなければほんの少しでも説明することができないのです。
しかし、そのような内容を数式を用いずに無理に説明しようとするために、結局は専門用語の羅列になり「○○というものがある」というだけの文章になるため、読む側としてはいったい何が言いたいのかわからないという状態に陥ります。
本書でも「奇妙さ」「真素」「μ中間子」などといった単語が特に定義されずに突然現れるので、「そういうものがあるのか」以外の感想が浮かばずに読み進めるしかない状態です。
私自身の考えでは、このような素粒子を簡単に説明しようという努力自体が無駄だと思うのですが…。

本筋とは関係ありませんが、著者はDNAのような複雑な構造を持つ化合物であっても、長い時間と適切な環境さえあれば自然発生すると考えています。
これは、いわゆる「有機物スープ」からDNAが自然に生成することで生命が誕生したということを意味します。
一方で、かなり昔に読んだ「遺伝的乗っ取り」ではこのような考え方は否定しており、DNAではなく初期の生物においては無機物(鉱物)が複製されることで種の保存がなされていたという説が取られています。
このあたりの妥当性は私には判断できませんが、定説としてはどちらが優勢なのかがやや気になりました。

50年近く前の翻訳だけあって、日本語は読みづらいです。
そろそろどなたか新訳出してもよいころだと思いますが…。
  1. 2017/08/15(火) 23:48:01|
  2. ★★★★
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バイーア・ブラック―ブラジルの中のアフリカを探して

ブラジルのバイーア州サルヴァドールは、16世紀から200年以上にわたってブラジルの首都機能を果たしてきました。
そのため、当時盛んであった奴隷貿易によりアフリカから大量の奴隷が運ばれてきた土地でもあります。
ポルトガル当局はアフリカの土着の宗教を禁止したのですが、奴隷たちは巧みにカトリックとアフリカ宗教とを混交させて、あらたなブラジル特有の宗教を作り出しました。
本書では、カーニヴァルをはじめとした西欧由来の風習と、アフリカの中でも特にヨルバ族由来の文化が混ざり合ったさまを、現地取材した記録が収められています。

著者の本業は写真家だけあって、巻頭に収められているカラー写真はとても美しいです。
とくにポンフィン教会の前で行われるお祭りの写真は見事だと思いました。
ポンフィン教会はカトリックなので、本来はアフリカ由来の宗教行事を行うことはできません。
しかし、奴隷の子孫たちはヨルバの神様にささげる祭りを教会の前で大々的に行います。
黒人女性たちが真っ白な服と白い花を持って集まるさまは本当に活気を感じさせられます。

一方で、文章のほうは個人的には少し読みづらく感じます。
一昔前のグラフ誌によくある、やや砕けた口語体なのですがあまり長い文章には向いていないように思いました。
うまく文体を説明できないので、一部引用します。
一人のおじさんが私に「鞄に気をつけろ」という仕草をする。
ウンウン、と軽く頷く私に、外国人の私は理解していないのか、というようにおじさんは時計をかっぱらう仕草をしてみせて、もう一度しつこく私に注意を促す。
親切なのだ。
ああ、だけどもう止めて、分かっているから、私だって気をつけなければいけないことぐらい。
私はサルバドールの人々がどんな気持ちかも一応知っているつもりだ。
彼らは被害に遭うのを恐れている。
誰だってそうだ。
私だって遭いたくない。
だけど、いつも彼ら子供たちをそんな目で見るなんて、やっぱり失礼じゃない?
彼らも子供なのよ。
時には無邪気に遊びたいでしょ。
誰かに甘えたかったり、恵まれた気持ちのいい生活をしたいって切望しているんじゃない?
「一昔前のグラフ誌」とかきましたが、実際本書が出版されたのは1997年なので「一昔前」の文体なのはやむを得ないところです。
しかしそれでも私には相性が悪く、読み進めるのに多少の苦労を要しました。
また、途中でヨルバの神話に関する解説もあったりするのですが、こちらも文章がやや散漫なために少しわかりづらいです。
写真が主で文章が従となるような本のほうが著者には向いているように思います。
  1. 2017/08/14(月) 23:07:23|
  2. ★★★
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自然景観の謎

世界各地でみられるさまざまな陸地の地形について、その成り立ちをビジュアルに解説したものです。
地理や地学の教科書で見た内容に近い部分が多いです。
本書はイギリスで作られたもののようで、地形の例として紹介されている場所の多くはイギリスです。
一部、渓谷などはアメリカが紹介されていますが、アジアが例として出されていることはほとんどありません。
この理由として土地の上に植生があると地形が良く見えずに例として不適当だというのもあるのでしょうが、紹介されている地名がわれわれにはあまりなじみがなくややピンと来づらいかもしれません。

学術的に厳密な紹介をすることよりも美しいカラー図や写真で珍しい地形を紹介することのほうに重点を置いているため、中学生くらい向けの絵本のような印象を受けました。
扇状地、三角州、河岸段丘、海岸段丘、自然堤防などといったよく見られる地形も紹介されているのですが、むしろメサ、氷堆丘、カルスト台地といった珍しい地形の解説の割合が高いように思います。
また、2ページ単位での解説を基本としており、かつそのうちの半分以上は絵や写真が占めているので、それほど詳しい内容については知ることはできないでしょう。

「高地のランドスケープ」「低地のランドスケープ」「海岸のランドスケープ」等の章に分かれているのですが、今自分がどこの章にいるのかがとても分かりづらく、かつそれぞれの章の分かれ目も明示されません。
そのため、突然「イントロダクション」なるタイトルのページが現れて、読みなれないうちは何のイントロなのかよくわからないという状態でした。
また、絵はきれいなのですが多くは2次元的な断面図なので、とくに堆積と浸食が同時に発生するような複雑な地形では何が起きているのかわかりづらいところもあります。
あと細かい話なのですが、本自体の強度が低いのでページをいっぱいに開くと脱落しやすいです。
写真や絵の見た目のきれいさに力が入っているわりにはその他の部分はややおざなりな印象です。
  1. 2017/08/13(日) 23:18:42|
  2. ★★★
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