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雑記+ブックレビュー

書評というほどのものはありません。読んだ本に絡めて、日々思うことなどを書いていこうと思います。

ベトナム帰還兵の証言

こちらも「風土病との闘い」と同時に古本屋で購入した岩波新書です。
本書は1971年に「戦争に反対するベトナム帰還兵の会(VVAW)」が主催した大会で報告された証言をもとに作られたもので、単に戦争行為としてベトナム人を殺しただけでなく、一般市民に対して面白半分で行われた残虐な行為が報告されています。

日本軍でもそうなのですが、戦争下の軍隊においては、普段の生活では権力により抑制されているような規範に反するような行為が是とされる傾向があります。
そのため、反社会的な人物による非人道的な行為が称賛され、一般的な良識に従って行動する人は腰抜けだとか愛国心が足りないだとか言って非難されることになります。
本書でも、軍隊において自らの良心を意図的に麻痺させて、非武装の一般市民から物や服を奪ったり、彼らに暴力をふるったり、時には意味もなく殺したりすることへの抵抗をなくしていきます。
そうでなければ軍隊という狭い世界では生きていけないのです。
彼らの多くは退役後に市民生活に戻ることができず、精神を病んでしまったのでしょう。

本書は似たような証言が延々と並ぶので、読んでいるとやや退屈するところもありますが、これほど多くの人が同じような経験をしたということを裏付けるものでもあります。
幸い、ベトナム自体は相当程度復旧したようですが、それでもかつての村落は二度と戻ってこないのでしょう。
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  1. 2019/02/17(日) 19:24:14|
  2. ★★★
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風土病との闘い

古本屋さんで古い岩波新書が一律100円で大量に売られていたので、いくつか購入したものの一つです。
日本各地の風土病の悲惨さと、その防止と治療のためになされていることが述べられているのですが、本書は1960年発行であり当然ながら今の日本とは相当状況が異なっています。
現在、私たち日本人が自由にたずねることの出来る南の橋は、跳石のほぼ真中にあたる奄美群島である。
という、沖縄返還前であることがわかる文章をみると、時代の違いを感じさせられます。

私も周囲で見たことがないのですが、当時の日本にはまだツツガムシ病や日本住血吸虫症などがまだまだ残っており、集落によっては人口の数割が罹患経験があるような状態でした。
今のように交通網も発達しておらず、山奥の集落には近くの町からでも1日がかりで歩いていく必要があり、近代的な医療が全く届いていませんでした。
以前読んだ「てんやわんや」でも、四国の山奥の集落に徒歩で行くという描写があったのを思い出します。
私が子供のころは今よりも蚊が多かったように思うのですが、それでも本書に書かれているような病気はすでに遠い世界のことでした。
わずか数十年で衛生環境が大幅に改善したことが実感されます。

ただ、病原菌を媒介する蚊やハエを殺すために、ディルドリンが使用されている場面を見ると昔のこととはいえややびっくりします。
沈黙の春」でも紹介されていましたが、ディルドリンはのちにその人体への毒性が大きな問題となり、現在では使用が禁止されているのです。
それでも、ツツガムシ病などにかかるよりはディルドリンの毒性のほうがまだ害が少ないということなのでしょうが…。

交通状態が悪いなかで、日本の北の端から南の端まで風土病を求めて訪ね歩いた著者たちの執念は、なかなかまねのできないものだと思います。
改めて、病気に悩まされることの少ない今の時代は幸せなのだと感じました。
  1. 2019/02/17(日) 18:58:51|
  2. ★★★★★
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変態王子と笑わない猫。

2010年からスタートして12巻で完結するまでに8年を要した作品です。
内容としては1~5巻とそれ以降に大まかに分かれるのですが、前半はコメディ色が強いのに対して後半は重い話になります。
ライトノベルなので各巻でそれなりのエンタメ要素は残しつつも、人の生死にかかわるような暗い場面が増えます。
これに対応してなのか、5巻が刊行されるまでは1年半程度しかかからなかったのに対し、それ以降は刊行ペースが鈍りました。
とくに11巻と最終の12巻の間には2年も間が空いていて、著者もかなり苦労したのかもしれません。

内容は、基礎にあるのは主人公モテモテタイプの典型的なラブコメです。
言葉遊びも多く、ここ最近の「異世界もの」が流行りだす前における正統派のライトノベルだと思います。
主人公は女の子が大好きな高校生男子ですが、オスカーワイルドのファンでもあり、彼の「幸福な王子」が作品の一つのモチーフとなっています。
街に立つ王子の像が、悲しみを抱えた人々に自らの持つ宝石や金箔を分け与えた結果、ボロボロになった末に誰からも顧みられずに朽ち果てるという話。
本作では、他人のために自らを犠牲にして破滅することを、ハッピーエンドとみるかバッドエンドとみるかというようなことが繰り返し問われます。
ライトノベルとはこういうものだという決めつけは良くないのですが、それにしても沈鬱なテーマではあります。
前半の5巻までは1巻ずつ完結していたのですが、6巻以降は続きものとなって前の巻での懊悩がそのまま引き継がれるため、さらに深刻な雰囲気になります。
7巻から10巻くらいまではずっと深い沼にいるようで、11巻でやっと解決を見るというのは読むのにもかなり気力が必要でした。

それでも、完結したのはよかったと思います。
納得のいく終わり方かどうかというのは、人によっていろいろ意見はあるのでしょうが…。
関係ないのかもしれませんが、この作品の「コミカライズ版 」も途中にかなり長い中断をはさんでいます。
こちらももはや完結することはないのだと思っていたのですが、2年半ぶりに最終巻が発売されたのは驚きでした。
  1. 2019/01/31(木) 23:39:59|
  2. ★★★★
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企業不祥事の研究

粉飾について詳しく知りたくて「最近の粉飾」を読んだのですが、この本は会計監査人が粉飾を見つけるための方法に特化していて私の希望していたものとはズレがあり、別の本を読んでみようと思って購入したものです。
本書は、粉飾に限らず企業が起こす不祥事全般にわたって、多くの例が示されています。
東京ドームシティでジェットコースターから男性客が転落した事件や、カネボウ化粧品の白斑事件、阪急阪神ホテルズによるメニュー偽装など…。
ただし、粉飾以外の不祥事が世の中に明らかになるのは、一般消費者に関係のある場合が多いです。
なぜなら、企業向けの取引で不祥事が発生した際には、企業間の話し合いで問題の解決が図られるために、広く報道されることがほぼないからです。
しかし、一般消費者に関係する不祥事では、ネット上でも情報が拡散しやすくまたマスコミにも報道されることが多いために、不祥事として大きな騒ぎとなりやすいという性質があります。

本書で扱われている不祥事は、大きくは次の三つに分かれるように思います。
  • トップが積極的に不祥事に加担したことが明らかなもの
  • トップは不祥事について知らなかったと主張しており、その関与の範囲がはっきりしないもの
  • トップは不祥事を知ることができなかったもの
たとえば、大王製紙の会長が会社の金を横領していた事件はトップの主導によるものですが、JR北海道で整備不良が多発したものはトップが直接起こした事件ではありません。
最もよくあるのは、間のケースとなる「トップの関与がはっきりしないケース」だと思います。

私の経験上、悪い報告を拒否する経営幹部というのは一定割合で存在します。
彼らに正直に問題を知らせると、叱責されるばかりか実現不可能な命令を受けて実務の担当者は右往左往することになります。
この場合、担当者は幹部への報告をあきらめ、もし問題が起きても幹部に対して隠し続けることになります。
そうすると、幹部は問題を知っていたはずなのに、裁判等では知らなかったと主張することが可能となります。
報道や書籍などから知ることのできる範囲からは、東芝の巨額の不正などは、完全にこのパターンに当てはまると推測されます。

本書には、このような幹部が情報を拒否する場合については取り上げられていません。
しかし、最近の品質偽装などの問題の多くは、このような幹部の責任逃れによるところが非常に大きいと思っています。
自らの職務に対して誠実でないことが本人の責任を回避する手段になるという矛盾した状態については、今後も大きな問題であり続けると思うのですが…。
  1. 2019/01/20(日) 23:18:15|
  2. ★★★★
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結婚退職後の私たち―製糸労働者のその後

古本屋さんで購入したものです。
45年以上前の1971年に発行されたものですが、タイトルを見て、まさに今でも議論されている女性のキャリア形成に関する問題がこのころからあったのか…とびっくりしました。
実際は、本書内の議論はやや別のところにあったのですが…。

本書は、製糸工場で働いていた女性のうち、全蚕労連に所属していた各組合で活動を行っていた一部の人々が発案して、かつての組合仲間に手紙を出してその消息を尋ねたものが元となっています。
よって、ここで取り上げられている例は労働運動、社会活動に熱心な層が中心となっていて、職場内でのキャリアアップとはやや離れた人々でした。
回答者のほとんどが昭和20年代後半から30年代前半に入社したということから見ても、これは当然のことでしょう。
当時は男女雇用機会均等法なども存在せず、女性が男性のように働くという道は事実上閉ざされていたのです。
労組内部でも「婦人部」では女性が主となっていたのですが、中秋は結局のところ男性により握られていて、女性の権力は非常に限られたものだったようです。
著者は、そのような環境化で長年労組の書記として労働運動に携わった人物であり、必然的に労働関連の政治活動に強い興味を持っています。

所在の判明したかつての労組仲間へのはがきには、かなり詳細なアンケートが同封されていました。
そこには、安保闘争やベトナム戦争反対運動、家永訴訟への関心の深さが問われています。
結婚退職して組合運動から離れると、多くの女性はこれらの政治活動やその情報へのアクセスが限られてしまい、数年たつと関心が薄れてしまった様子も述べられています。
これ以外にも結婚生活の状況について問われていますが、子育て、義理の家族との関係が今以上に厳しく、そもそも結婚退職後の女性がほとんど自由時間を持てていない状況が明るみなっています。
組合活動、社会運動などは多くの時間とエネルギーを必要としますが、家族労働で縛られた女性たちはそもそもそういったことに割く力がまったくなかったのです。
とくに農家などでは、姑に外出の許可を得ることすら苦労するということもごく普通だったようです。

著者は、アンケートに回答があった中から10人ほどの女性を訪ねています。
うち数名は自衛官の妻となったのですが、彼女たちには自らの政治的主張を明らかにすることへのためらいが見られます。
当時は自衛官への身元調査が厳しく、妻が「アカ」だと判明すると夫の仕事に対して差しさわりがあるということが要因です。
若いころの主張と現実の折り合いの難しさを感じます。

一方で、彼女たちのキャリア形成については、問いにすらあがっていませんでした。
製糸工場でも30歳で昇給が止まるなど、そもそも女性のキャリアというものが存在しない時代だったのです。
よって、退職によりキャリアが失われるということもありません。
もとからなかったものに対しては、失うことすらできなかったというのが実情でしょう。
  1. 2019/01/20(日) 16:01:17|
  2. ★★★★
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再生可能エネルギー政策の国際比較: 日本の変革のために

再生可能エネルギーを推進する目的は大きく二種類に分かれると思っています。
ひとつは脱原発です。
壊滅的な災害につながりかねない原発のリスクを回避するため、原発が供給していた電力を再生可能エネルギーで代替するべきという考え方です。
もうひとつは、温暖化の抑制です。
こちらは、火力発電等の化石燃料による発電の代替として再生可能エネルギーを用いるという考え方です。
再生可能エネルギーが普及すれば両方が達成できるのでしょうが、それでもどちらを主目的とするかによって再生可能エネルギーの普及のための政策は異なってくるでしょう。
しかしながら、再生可能エネルギーについては上記二つの目的が混在したまま語られることが多いです。
それは、本書にも当てはまることだと思います。

私は再生可能エネルギーについて十分に理解できている自信はありません。
個人的には、日本における再生可能エネルギー普及を阻害する最大の要因は、台風やこれに伴う水害、降雪などだと思っていますがこれは妥当なのでしょうか。
本書は、日本で再生可能エネルギーが広まらない主な原因は政策面にあると主張し、主にヨーロッパや北米などの成功例をもとに日本が今後検討するべき政策を提案しています。
しかし、本書で挙げられている成功例はヨーロッパやアメリカの西海岸など、台風や洪水などの少ない地域です。
これらの地域で最も寄与の大きい再生可能エネルギーは風力発電なのですが、台風のもとでは風力発電用の風車は破壊される可能性が高いです。
再生可能エネルギーの発電に用いる装置類は従来型の発電に比べて規模が小さく、その分地域的に分散させることが可能です。
しかしながら、自然災害対策として、分散した発電機すべてに堅牢な構造を求めるとコストに見合いません。
本書ではこのあたりに全く触れられずに、しきりに再生可能エネルギーの技術的な課題は少ないと主張しているのが腑に落ちませんでした。
それなら、米国でも日本と気候の似ている東海岸での成功例を示してほしいものですが…。

本書そのものの記載に問題があるのではなく、おそらく私が持っている疑問に対して本書が答えていないというミスマッチが起きたのだと思います。
内容はやや複雑ですが、それなりに読めば理解は可能だと思います。
  1. 2019/01/17(木) 00:12:28|
  2. ★★★
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トングー・ロード―ビルマ賠償工事の五年間

こちらも「死の商人」と同じく、古本屋さんで一冊100円で販売されていたものです。
第二次大戦の加害国である日本がビルマに対して賠償の一環として行ったのが、バルーチャン水力発電所の建設でした。
当地は巨大な ローピタ滝とその上流のインレー湖により、水力発電には極めて適した土地だったのですが、完全な未開tの地であり工事のためのアクセスすら困難な状態でした。
最も近い町であるトングーからは、ビルマ政府にとっては反乱軍であるカレン族の支配地域を通過する必要もあり、バルーチャン発電所の予定地への道路建設は困難が予想されたのです。
本書は、日本から技術コンサルタントとして道路建設のために派遣された技術者による記録文書です。

今のように本国との連絡が電話やメールで簡単に取れる環境ではなく、現地において発生した問題は基本的にはすべて自分たちで解決しなければなりません。
反乱軍以外にも虎の襲来も懸念されるうえに、日本では当然のように手に入る機械や資材の不足に悩まされます。
そしてなんといっても、現地の人々の労働意欲の低さや、ビルマ人とカレン族、インド人等の反目、さらには地元の権力者の意向等も影響して工事は思うように進みません。
雨季には土砂降りの雨が降り、せっかく開通した道路もすぐに途絶するというひどい環境でした。

本書ではこれらの問題にたいして取り組んだ結果、最後には無事に道路が開通して雨季になっても崩落しないような舗装をすることにも成功しました。
文章の絶対量が少ないので、問題が起きるや否やすぐに解決したように見えるのですが、実際はどれも本当に苦心して対処したのだと思います。
技術面以外にも精神的なタフさが要求されたことでしょう。

私自身はこのような戦後賠償としての工事というのは全く初めて知ったので新鮮でした。
技術者の人が書いた文章ですが、とても読みやすいと思います。
久々に古本屋でよい本に巡り合いました。
  1. 2019/01/13(日) 19:31:20|
  2. ★★★★★
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死の商人 改訂版

古本屋で50年ほど前の岩波新書が大量に売りに出されているのを発見しました。
すべて一冊100円だったので数冊購入したのですが、これはそのうちの一冊です。

第二次大戦前に死の商人として暗躍した、代表的な会社や個人についてピックアップしてわかりやすく解説した本です。
戦車や武器により大きな利益を上げたドイツのクルップ社、BASFやバイエル社の元となったIGファルベン、そして世界有数の化学メーカーデュポン。
これらの企業は表向きは市民社会に溶け込んでおり、CSRの点にも非常に気を使っているように見えるのですが、かつては死の商人としての活動も活発におこなっていました。
武器は国家の存亡にかかわるために、性能さえ良ければ価格は比較的軽視される傾向にあり、売る側にとっては大きな利潤が期待できます。
一方で、世界的に緊張が緩和すると死の商人にとってはビジネスチャンスが減ってしまうために、彼らにとっては不安定な状況こそが望ましいです。
よって、死の商人は敵対する複数の国それぞれに相手方の悪い情報を吹聴して、戦争を誘発させようとしてきました。
これらの基本的な流れについて、非常に易しい文章で解説した入門書といえます。

ぼんやりとは知っていたことですが、このようにまとまった形で読んだのは初めてです。
死の商人に限らず、様々な会社が過去の負の遺産を持っており、いまとなってはその遺産はあまり知られていないことも多いです。
今でもこの本で取り上げられたような企業は、かつて武器売買に手を染めた時期の企業風土が残っているのかが気にはなります。
  1. 2019/01/12(土) 21:25:55|
  2. ★★★★
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無限カノン

未完の平成文学史」にて知った本です。
完成までに構想段階から7年を要した大作だそうですが、いざネットで検索して見ると驚いたことに絶版になっていました。
今時は、ごく一部の超人気作家の作品を除けば、このような大作は商業ベースには乗らない時代なのでしょうか…。
幸い、昨年末に電子書籍化されたので、念願かなって読むことができたものです。

蝶々夫人(あの「マダム・バタフライ」)、そしてその四代にわたる子孫たちの恋愛物語です。
各世代の登場人物の恋愛は平穏な形で実ることはなく、若いうちに絶頂期を迎えたのちにその時期に愛した相手を忘れられずに過去に引きずられて生きるような家系。
心の中に秘めた憂愁はその子供に伝えられ、かつての親と共通した点の多い人生を歩み続けます。

政治や天皇制に関する話題をストレートに扱っていることもあり、特定の政治思想を持った方には受けいれがたい内容かもしれません。
私自身は本作で扱われるような話題について、それほど強い意見を持っていないので気にはならなかったのですが、ここまで直接的に敏感なテーマに触れる必要があったのかはよくわかりません。
著者はその実績にもかかわらず主要な文学賞を受賞することがないそうですが、本作に賞を与えるのは一部の過激な人々から難癖をつけられる危険があるということも影響しているように思います。

完成まで7年かかったものを一週間かからずに読んでしまうのはもったいない話ですが、それだけ読みやすく面白かったということでもあります。
結末がややあっけないという意見もありそうですが、個人的には良い終わり方だったと思います。
  1. 2019/01/09(水) 23:44:54|
  2. ★★★★★
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万物は流転する

人生と運命」が翻訳出版されてから、同じ訳者によりグロスマンの作品が次々と翻訳されています。
それほどたくさん売れる本だとも思えないので、どうやって採算にのっているのか不思議ですが…。
(同じ疑問は、バーセットシャー年代記のシリーズにもいえることです)
出版不況という話ばかり聞きますが、このような本が出版されるのは個人的にはありがたいことです。

本作の主人公は、スターリン施政化で密告を受け、覚えのない罪で30年間ラーゲリに投獄された男です。
スターリンが急死した後に思いがけず出獄することとなりましたが、すでに彼がかつてなじみのあった場所や人はもとの場所に存在しません。
苦労して見つけた住処の大家の女性だけが心の交流先だったのですが、かの女性もホロドモールと呼ばれる飢饉の時期に体制側にたっていたという凄惨な過去を持っていた人物でした。

大粛清下で心を殺して生きることにより平穏な生活を守った人々や、ラーゲリでの人身の荒廃、そしてホロドモールにおける完全なる食料の消滅が描かれます。
ホロドモールは意図的なジェノサイドであったのか失政であったのかについてはまだ定説がない?ようですが、完全にゼロイチで判断できるものではないのでしょう。
最初は失政から始まったものの、事態の進行につれて引き返せなくなり、意図的になっていったというのが一番ありそうに思います。
スターリン支配では、悪い報告を行ったものは粛清の危険があり、事実を隠してよい報告ばかりがなされたことが一因のように思います。
程度の差はあれ、今の日本でも起きているのでしょう。
事実が伝わらずによいことばかりを宣伝するか、または事実に関する報告に対して見て見ぬふりを行い、問題への対処が遅れ、破綻した後に責任者が「だまされた」「報告を受けていない」と主張するのは、「東芝不正会計事件の研究」で読んだのとまったく同じような構図に見えます。
ラーゲリにおいて主人公が目撃した、ある女性の死の描写も凄惨です。
夫と娘と引き離され、看守に性的関係を強要された後に、ついには夫がもうこの世に存在しないことを確信し、希望を失い死に至ります。

文章は、小説部分と、レーニンやスターリンに関する評論が入り混じって進行します。
その意味においては、半小説というような印象です。
解説にもあるとおり、この体裁に起因した読みづらさは否定しきれないと思います。
  1. 2019/01/06(日) 11:01:42|
  2. ★★★★
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真珠夫人

青空文庫で無料公開されているのを読みました。
私は本作が戦後のものだと思い込んでいたのですが、1920年ということでほぼ100年前の小説です。
たしかに、書かれている内容や、ものの値段などはどれも今とはかけ離れたものです。

貧しくとも気高く美しい娘であった瑠璃子。
しかし恋人の杉野が、成金を馬鹿にするようなことを言ってしまったため、その仕返しに、成金から金銭的に抑圧を受けて破産するか、成金の元に嫁ぐかの二者選択を迫られます。
瑠璃子は、成金を精神的に破滅させることを誓い、成金の妻となる選択を行いました。
成金の死後も、女性が男性の身勝手でその人生を翻弄されることへの復讐として、世の男性たちを手玉に取り続けるという物語です。

新聞小説だからかもしれませんが、展開が極めて速く先を読みたくなるような仕掛けがあらゆるところに張り巡らされています。
エンターテインメント小説としては見事なものだと思いました。
内容は恋愛関係のどろどろに終始するのですが、一部文学論争のような場面もあります。
尾崎紅葉が通俗小説に過ぎず、樋口一葉が高尚であるというような結論に達しつつありましたが、これは著者の意見そのままなのでしょうか。
樋口一葉は文体に起因して読みづらいことは間違いないのですが、それ以上に本書のテーマである女性の抑圧というものが願意さているようにも思いました。

このような小説が無料で読めるのは恐ろしいことです。
元著作権者には気の毒なことでもありますが…。
  1. 2019/01/05(土) 11:09:10|
  2. ★★★★★
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静かなドン

古本屋さんで文庫本8巻セットを見つけて、購入したものです。
最初に発見してから数ヶ月間買うのをためらっていたのですが、いっこうに売れる気配なく耐え切れずに持ち帰ってしまいました。
かなり長い小説なので、面白くなかったときのことを懸念して買うのを控えていたのですが、結果からいえば完全なる杞憂でした。

ロシアでもっとも有名な大河小説「戦争と平和」はナポレオン戦争を描き、その著者トルストイの後継者とも言われるグロスマンによる「人生と運命」は第二次大戦のスターリングラード攻防戦を描いています。
本作品の舞台はその間に当たるロシア革命です。
帝政ロシアのために国境警備の任務に就く代わりに土地所有に関する特権を認められてきたドン河流域のコサックたちが、ロシア革命という外的要因により翻弄されるさまが述べられます。
ボリシェヴィキによる革命が起きた直後は、コサックのあいだではロシア皇室への忠誠心から白衛軍(反革命軍)側につくものが多かったようです。
しかしながら、貧しいコサックの中には赤軍に身を投じるものも多く、同じ部落内の昔なじみ同士で敵味方に分かれて反目しあうこととなりました。
本書の主人公グリーゴリーのように、多くの民衆にとっては赤軍も白軍もその高邁な思想にはあまり興味がなく、戦争に伴う混乱を鎮めたいということが主な願いでした。
結局は彼の故郷の部落も戦場となり荒らされた挙句に、ほぼすべてに家族を失うこととなります。

本書では、赤軍であろうとも白軍であろうとも、その中には腐敗した者が存在することが印象的です。
遠征先の村で食料を徴発したり、宿泊先の提供を強要することはよくあることですが、混乱に乗じて彼らの財産を力ずくで奪ったり、女性に暴行を加えたりすることも珍しくなかったようです。
この結果、被害にあった側は恨みを募らせて形成が逆転した場合に、加害者と同郷であったり同じ軍に所属していたというだけの理由で仕返しを行い、これがさらに新たな恨みを産んで仕返しの仕返しが発生するなど、完全なる泥沼に落ち込みました。
100年後、彼らが熱狂したロシア帝国もソヴィエトも崩壊した現代から見ると、深い無常を感じます。

とても長い小説ですが、私が読んだ横田瑞穂の訳は読みやすかったです。
さすがに古い訳なので、自家製の酒のことを「どぶろく」と表記していたり、丁寧な言葉遣いが「ごわす」調だったりするなどの細かい違和感はありましたが…。
  1. 2019/01/04(金) 20:00:10|
  2. ★★★★★
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「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用

従来から一部の哲学者により、自然科学の用語を援用して自らの思想を述べるということが行われてきました。
彼らが自然科学の概念を正しく引用している限りは問題がないのですが、間違った理解に基づく引用がなされることもしばしばです。
単に理解が不十分なだけであれば、その欠点を後続の論者が批判してまたそれに対する回答が行われ…というように健全な議論が行われるのですが、さらに悪いことは多くの論者はその用語を単に文章を装飾して理解しづらくするために用いているように見えたことです。
この結果、怪しげな自然科学用語が誰にも理解されないようなやりかたで文章の装飾のみを目的に使用され、そしてそのような晦渋な文章がまた別の人にありがたがられるという、極めて不毛な事態が発生してしまったのです。
1996年に物理学者ソーカルがわざとこのような混乱した論文を作成し、ポストモダン系の雑誌に投稿したところそのまま掲載されてしまったというのが「ソーカル事件」でした。
これにより、少なくとも一部の哲学者は、理解することが原理的に不可能な論文(はっきりとした内容がそもそもこめられていない論文)を、その一見難解に見えて、かつ装飾的な文体にだまされてありがたがり、かつ自分たちでもそのような論文を生産してきたということが明るみに出てしまったのです。
本書は、ソーカルともう一人の物理学者ブリクモンが、自然科学概念を意図的に読者を混乱させるために用いた論文を実例を示して批判したものです。

本書で挙げられている論文の著者は、私でも聞いたことのある超有名どころばかりです。
ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズとガタリ、ヴィリリオ。
彼らはみな、その著書が難解なことで知られていますが、本書ではその文章の少なくとも一部は内容が混乱しており、理解に値する内容を含んでいないことが証明されています。
実際、本書の地の文(ソーカルとブリクモンによって書かれた文章)は明晰でわかりやすいのですが、批判のために引用された上記の哲学者たちの文章は一見して脳が読むことを拒否してしまいそうなくらい晦渋です。
私自身はこの手の文章を理解する能力が低いことは自覚していたのですが、実のところは文章自体がでたらめなので理解しようがないということが判明したのはショックでもあります。
たとえは悪いかもしれませんが、俗に「中二病」といわれる人が自然科学の断片的な概念(平行世界、シュレーディンガーの猫など)を用いて物語を組み立てるのと大差ないのだと思います。
ただ、「中二病」の人はそれを物語であると自覚しているので害はなく、もっと範囲を広げるとSF作家たちが荒唐無稽な話を書くのもそれはフィクションを創造していると公言しているのだから批判されるいわれはありません。
しかし、彼ら哲学者たちは、この実世界を描写しているふりをしていながら、フィクションの体すらなさない無茶苦茶な文章を公開していたのだからその罪は非常に重いように思います。

もちろん、実際に難解な内容を含んでいるために、文体が難解になってしまっている文章もたくさんあると思います。
(そのほうが多数派であると信じたいです)
それでも、これだけの大家の文章が本書に挙げられていることから、世に存在する難解な文章で読むに値するものがどの程度あるのかもよくわからなくなってきます。
本書で扱われているのは自然科学の用語をもてあそんでいる文章に限られていますが、それ以外の難解な文章も本当に内容がちゃんと含まれているのかという気持ちにもなります。
本書は、とくに形而上学的な文章を読んで挫折してしまった人には一度読んでみてもらいたいと思います。
その文章を理解できなかった理由が、本当に読解力不足にあるのかどうかはまだ疑問の余地があるように感じました。
  1. 2019/01/03(木) 18:22:37|
  2. ★★★★★
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火山の下

著者についてはまったくの未知でしたが、本屋さんでなんとなく手にとって購入したものです。
本書の舞台は1938年のメキシコです。
妻に去られたことによるショックで十度のアルコール中毒となった元英国領事の、妻が帰ってきたその一日を描いたものです。
本書の腰巻の紹介文によると「悲喜劇的な一日」だそうですが、わたしが読んだ限りにおいては悲劇としか言いようがありません。
基本的にはひたすら救いのない話です。

この物語は、二つの点から読み解くのが非常に困難です。
その理由の一つ目が、文体にあります。
主人公の元英国領事がアルコール中毒でほぼ常に酩酊しているためもあって、文章のつながりがわかりづらいです。
巻末の著者の解説文にわざわざあらすじを改めて載せているのもうなずけます。
章ごとに一人称の視点が変わっていくのですが、元英国領事以外の視点から見た際も、前後のつながりはわかりづらいです。
著者ならではの装飾的な文章なのですが、あらすじを追うだけでも高い読解力が必要です。
もうひとつの理由は、メキシコの歴史的な事実がちりばめられていることにあります。
メキシコ皇帝のマクシミリアンとその妻の悲劇、コルテスとモクテスマのテノチティトランにおける戦いなど…。
そして、これらについてはまったく注が付与されておりません。
そもそも、所見でメキシコの歴史についてちゃんと理解できている人がどの程度いるのかは疑問です。

たまにはあまり読まない作家の本をと思ったのですが、私には難度が高すぎたようです。
相当教養の高い人なら読み解けるのかもしれませんが…。
  1. 2019/01/01(火) 22:49:46|
  2. ★★★
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最近の粉飾〔第7版〕: -その実態と発見法-

少し前に「東芝不正会計事件の研究」を読んで以来、粉飾に興味を持つようになりました。
東芝の粉飾に限って言うと、達成不可能な目標を幹部が部下に強要した結果、会計不正が常態化したということが最大の要因です。
私も純日本的な企業に勤めているのですが、個人的な実感から言ってもこのような目標の強要は程度の差はあれどこでも起きていることだと思います。
多くの会社では、幹部が宣言する無理な「表目標」と、実態に即した「裏目標」を巧妙に使い分けるのでしょうが、公的な「表目標」をタテに幹部が部下を徹底して叱責するような会社では粉飾が発生するのでしょう。
国際会計基準が一般化しつつあり、かつてのようにバブル期の含み損を隠し続けることができなくなったことから、損失が表面化して粉飾に走るケースも多いと思われます。
これも、過去の負の遺産を今の人が負うという、ある意味気の毒な状態ではあります。

本書の記載は、財務諸表から粉飾を見破る手段に特化しています。
ということは、公認会計士向けの実務的な本であり、私のような素人が興味本位で読むものではなかったようです。
確かに副題に「発見法」とはあるのですが、まさかここまで発見法に特化しているとは思いませんでした。
もうちょっと本を注意して買えばよかったのですが…。
版を重ねているということは、その筋の専門家には需要があるのだと思いますが、私にはややミスマッチだったようです。
  1. 2018/12/29(土) 10:58:35|
  2. ★★★
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内戦後のスリランカ経済―持続的発展のための諸条件

長年続いたスリランカ内戦は、2009年にゲリラ組織LTTE(タミル・イーラム・解放のトラ)の壊滅という形で終結しました。
このブログの過去の記事見直していたのですが、ちょうど「自爆する若者たち」の記事を書いた日が内戦終結の日だったことを思い出します。
あれから10年近く経過していますが、当然ながら内戦が激しかった地域における経済の回復は道半ばのようです。

私はスリランカといえばまず紅茶を思い出すのですが、現在のスリランカ経済は衣料品の生産への依存が強いそうです。
一般的に衣料品というと、人件費の安い発展途上国が有利で、経済の発展に伴って優位性を失うと予想されます。
しかし、ASEAN諸国には及ばないものの南アジアのなかでは経済の発展しているスリランカにおいては、現在でも衣料品産業は競争力を失っていません。
この理由として、スリランカの衣料品メーカーが、納期通りに高品質なものを納入するという、当たり前ながらも困難なことを実行する実力があるからであると述べています。
また、労働環境が整っているためにCSRの観点からも、欧米の衣料品ブランドにとってはスリランカに生産を安心して委託できるというメリットもあります。

しかし、これ以外の民間産業が育っていないという問題があり、とくに高学歴者は公務員への指向が極めて強い状態です。
その理由は、公務員のほうが給料が安くとも安定しており、かつ仕事量が少ないという考えによるものだそうです。
日本の公務員志向ととても良く似ているように思うのですが、日本の公務員が必ずしも楽な仕事ではないのと同様、スリランカも本当に公務員の仕事が楽なのかはよくわかりません。
公務員になれないなら就職浪人も辞さない姿勢は、ある意味一貫しているようには思いますが。

紛争と運動」で読んだ、スリランカ内戦の主要因である民族間の軋轢についても本書で触れられています。
全体的に内容はわかりやすい本なのですが、スリランカの土地勘がないので地名と地域の紐づけが読んでいてやや困難でした。
スリランカに興味があれば、もっともまとまって状況が分かる本ではないかと思います。
  1. 2018/12/23(日) 18:55:53|
  2. ★★★★
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風景は記憶の順にできていく

中学校のころ椎名誠の作品が大好きでした。
哀愁の町に霧が降るのだ 」は何度も読みなおした記憶があります。
ただ、ある程度年をとってから読み返すと椎名誠の趣味嗜好がやや私と異なっていることもあり、あまり読まなくなってしまいました。

本書は、椎名誠がかつて自分にとってなじみであった土地を久々に訪れるというものです。
若いころ会社勤めをしていた銀座、映画の撮影にはまっていたころ滞在した四万十川、30年前にルポの仕事で訪れた西表島の舟浮集落など。
変わってしまった風景も、変わらない風景もあるのですが、とくに著者は銀座などの都会に対する目が厳しいです。
無秩序な看板、うるさい若者の声など、風景が退化しているといいます。
一方で田舎の風景に対しては一様に好意的です。
ただ、本書の企画で現地を訪れるのに確保された時間があまり潤沢でなかったようで、いずれの場所も消化不良な感じがします。

私にとっても、かつて自分にとってなじみであった「椎名誠」を20年ぶりくらいに訪れる機会となりました。
四万十川で椎名誠と一緒に映画を撮ったカヌーイストの野田知佑が、公務員のことを毛嫌いしていて公務員を川に投げ込んだこともあるというようなエピソードを、中学生の私は格好よく思っていたのですが、今となっては頭のおかしい人としか見えなくなってしまいました。
椎名誠もそこまで過激なことを書いていませんが、公務員に対してはどうも一様に非好意的なようです。
このあたり、私のかつての感性と今の感性が変わってしまっているために、昔ほど椎名誠を楽しめなくなったように思います。

この本も、私が中学生のころに読んだら本当にお気に入りの一冊になったのだと思います。
しかし、今読むとやはり考え方がずれており、懐かしさは感じたものの楽しめたとはいいがたい状態でした。
  1. 2018/12/20(木) 23:41:13|
  2. ★★★
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カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇

カラヴァッジョ伝記集」に引き続き、もう少しカラヴァッジョについてちゃんと読んでみたいと思って購入したものです。
さすがに「伝記集」に比べるとちゃんといちから文章を作ってあるので読みやすいし、情報もわかりやすいです。
どうしてもやむを得ないのは、図版が白黒なので見づらいことでしょうか…。

本書はカラヴァッジョの生涯を時系列で追いつつ、その作品の解説も充実しています。
とくに、作品内に配置された細々したものが持つ意味をちゃんと説明しているので、素人が読んでもその内容がちゃんと理解できます。
私自身、カラヴァッジョの初期の作品と後期の作品の違いがよくわかっていなかったのですが、本書の文章を読むと納得できました。
ただ、繰り返しになるのですが図版が白黒で見づらく、別の画集などを参照することが望ましいのでしょうが。

カラヴァッジョの人生が最も順調であったローマ時代の記述は、彼が作品をたくさん産みだしていることもあり作品の解説が主になっています。
一方でその後は転変が激しいために伝奇的な記載の割合が増えます。
何かの病気であったのかと思えるほど一時の感情によるトラブルを起こすさまは、気の毒でもあります。
本人も自分の行動がひき起こしてしまった結果を、相当悔いていたように思うのですが…。

数時間もあれば読める内容ですが、必要十分な分量だと感じました。
「伝記集」より先にこちら読んだ方がよかったと思います。
  1. 2018/12/16(日) 23:10:38|
  2. ★★★★
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カラヴァッジョ伝記集

20年以上前にデレク・ジャーマンの映画をみて、初めてカラヴァッジョのことを知りました。
今となってはインターネットで検索するとカラヴァッジョの絵をモニター越しに見ることは簡単ですが、当時はカラヴァッジョの絵を見ようと思ったら大きい図書館に行って画集を探すしかなかったのを覚えています。
映画を見た後で図書館で絵を見て、特に聖マタイの召命の画面中央を斜めに突き刺すような光が強く心に残ったのを覚えています。
本来なら、本来の設置場所である薄暗い教会の建物内部などで見ると、より作者がねらった効果が現れるのでしょうが。
絵だけを見るととてもまじめな作家に見えるのですが、その人格は相当に変わった人だったようで、犯罪者として追われることもしばしばでした。
本書は、カラヴァッジョと同時代に生きた人々が彼について記した文章などが掲載されています。

数世紀前の文章では普通なのですが、今の本とは違って注釈等も不親切でわかりづらい点が多々あります。
また、文庫なので収録されている絵はモノクロで見づらく、絵の主題等の説明などもないので私のような素人には不十分に思いました。
カラヴァッジョの研究を行っている方々にとっては、資料としては貴重なのでしょう。
とはいえ、最低限のよく知られた事件についてはしっかりと説明がなされており、彼の破天荒な生涯を追うことはできます。
おそらくは、他のカラヴァッジョに関する本と一緒に読み、他の本に不足する部分を補完するようなものだと思います。
  1. 2018/12/16(日) 16:10:08|
  2. ★★★
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結婚式のメンバー

村上春樹の文章は、読む人によって好き嫌いが極めてはっきりしているようです。
私はどちらかというと彼の文章とは親和性が高いようで、村上春樹の作品では「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 」は大好きな作品です。
しかし、本作は他人の文章の翻訳なのに村上春樹っぽさが強く、読んでいて最後まで少し違和感を覚えてしまいました。

アメリカ南部の田舎町に住む、思春期の少女フランキーの物語です。
田舎の子供には、田舎に馴染んで地元愛が強くなる場合と、周囲とうまく関係を築けないにもかかわらず子供の無力さのせいで脱出できずに苦しむ場合があるようです。
主人公の少女は完全に後者なのですが、著者のマッカラーズもまったく同じような少女時代を過ごしたそうです。
できものを治療するために使用した塗り薬が臭いために恥をかいたと大騒ぎする彼女からは、子供っぽい思い込みと、子供にはない自意識が同時に見られるように思います。

彼女にとっては、外の世界につながるものはすべて魅力的に見えるのですが、彼女の兄の結婚式はまさに「外の世界」の象徴が詰め込まれたようなものでした。
アラスカという未知の世界から帰ってきた兄、ウィンターヒルという未知の場所(南部の人にとっては「ウィンター」という語感もエキゾチックだったことでしょう)からやってきた新婦、そして結婚式のあとの新婚旅行。
フランキーは不合理な熱心さで兄とその婚約者と自らとを一体化させようとします。
これは、フランキーにとっては残された唯一の逃げ場所だったように思えます。
一方で、結婚式前の躁状態の中でも、彼女の中にわずかに残った理性はその幻滅を予想しているようにも見えました。
「外の世界」の象徴たる兵隊との期待に反した出会いは、その中でも最たるものです。
兵隊と触れ合うことでフランキーは自分自身も外の世界とつながろうとしたのですが、兵隊は単にフランキーを欲望のはけ口としか考えていない酔っ払いにすぎなかったのです。
フランキーの幼い空想と、他人の男から彼女の体に向けられる目線のバランスが取れていないこともわかります。
(少し前に読んだ「男性と女性」で、男性は子供のころは魅力が少ないために年長の女性からの危険を心配する必要がないが、女性は子供のころから性的魅力を持つため年長の男性からの危険を防がなければならない、というようなことを書いていたのを思い出します。)

私自身はこの話は好きなのですが、とくに前半はやや読みづらく、人による好みの差が激しいと思います。
この点、村上春樹作品と似ているのかもしれません。
  1. 2018/12/16(日) 09:03:19|
  2. ★★★★★
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